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エッセイ

Vol.2

日本語はやさしい(二)

山口 明穗

2013.01.29

テレビで一人の外国人が、上手な日本語で時局を論じていた。このような光景は、最近しばしば目にする。画面を見ず音声だけ聞いていると、全く日本人が話しているようである。流暢な日本語に驚き、話の内容よりも、言葉にどこか変な所はないか、の方に気がいってしまい、そして 「この人完璧な日本語、話してるよ!」 と我が職業故の習いかとも思う。

日本人より日本語がうまいと感心する人が増えたのは、前回のサラディンさんではないが、どこで、どのように、日本語を学んで来たのか、できればそっと聞いてみたいと思う。知人とその話になった時、日本語のうまい人が増えたことには、つまりは、あの人たちには日本語など簡単なのであろう、ということに意見は落ち着いた。

私は、その昔、ドイツのデュッセルドルフから車で一時間程のボッフム(Bochum)という大学街にいたことがある。これをどう発音するか、当地の日本語の先生であるミュラーさんに聞いてみた。

「ボッフム」「いや、違います」「ボッホム」「いいえ」「ボーホム」「いいえ、違います。ボーと短く伸ばした後に、促音の「ッ」を入れます。日本人には発音できません」。

ちなみにボッフムは、サッカーの小野伸二選手がかつて所属したチームの所在地、今は田坂祐介選手が所属している。そのお陰で、しばしば新聞にもボッフムの名が出るようになっている。

日本語がやさしいという、一つに発音体系の単純さがある。

これもテレビの話で、大分昔の事である。確かロシアだったと思うが、男性の合唱団が出演していた。「日本語の歌を」という司会者の求めに応じて、「桜 桜 弥生の空は 見渡す限り 霞か 雲か」の歌を斉唱した。発音にここはと思える箇所があり、外国の人が歌う日本の歌という感じは否めなかった。司会者は、日本語が上手である旨誉めたたえていたが、上手と感じさせるように歌えた裏には、日本語の音節構造の単純さがあったことは間違いない。その歌詞の一節をローマ字で書き表すと、次のようになる。

  Sakura sakura yayoi no sora ha miwatasu kagiri kasumi ka kumo ka

さらに、「さくら」を音節を単位に区切ると、次のようになる。

   /sa/ku/ra/

日本語の音節は、子音と母音とから成り、音節末尾に母音の来ることが特徴で、そのような音節の構造は「開音節」と呼ばれる。末尾に来る子音は発音の「ン」と促音の「ツ」だけである。

英語は、「dog」「ring」「music」「father」などのように、末尾に子音の来る語は多い。「dog」「ring」はどちらも一音節、「mu-sic」「fa-ther」はどちらも二音節の語である。末尾には子音が付くが、この子音だけというのが、開音節に慣れた者には発音しにくい。

「dog」などでは、末尾の「g」は切り離した発音がむずかしいので、後に母音を付け、/ド/ッ/グ/としたりする。しかし、それでは、子音「g」の発音になっていないし、もともとは一音節の語が三音節になってしまう。これは言うまでもなく、すべての子音に起こる現象である。

日本人の話す英語は、どうしても日本語的な感じが付きまとう。それは、日本語でなくとも母国語以外の言葉をしゃべる時はえてして起こる事で、ある意味ではどうしても仕方のない事とも言える。

クレアマリーさんは、メルボルン大学で日本語を教えている。彼女は、オーストラリア訛りの英語がアメリカの人から馬鹿にされると話してくれた。通じるかどうかは別として、同じ英語といえども、国それぞれ使われている英語に違いがある。母国語以外の言葉はむずかしいと納得する。

次のような話がある。ロンドンのウェストケンジントンに住む日本人の家を、日本から来た友達が訪ねる約束をした。招く側は慣れない相手を思いやり、「君の英語では、なまじ、ウェストケンジントンと言っても、伝わらないかもしれない。そういう時は、いっそ、上杉謙信と言った方がいいと思うよ」。約束の日になり、招いた側では何時来るかの思いでいたが、友人はいつまで待ってもやって来ない。約束の時間にかなり遅れ、ぷんぷん怒りがらやって来た。「君が教えた通りにやったけど、全然、通じない」「何と言ったの」「武田信玄」。勿論、実話ではない。といっても、それに類する話は実際にあった。

戦争中、小田原の近くに疎開した。敗戦後、近くのお年寄りの中には、「今度、松川さんという偉い人が、アメリカから来る」と言う人もあった。この「松川さん」は進駐軍の総指揮官「マッカーサー」の事である。



山口 明穗(やまぐち あきほ)

国語学者、東京大学文学部名誉教授。
1935年、神奈川県生まれ。東京大学文学部卒、1963年東大人文科学研究科国語国文学専修博士課程中退、愛知教育大学専任講師、1967年助教授、1968年白百合女子大学助教授、1975年教授、1976年東大文学部助教授、1985年教授、1996年定年退官、名誉教授、中央大学文学部教授、2006年定年退任。
著書に、『中世国語における文語の研究』明治書院(1976)、『国語の論理―古代語から近代語へ』東京大学出版会(1989)、『日本語を考える―移りかわる言葉の機構』東京大学出版会(2000)、『日本語の論理―言葉に現れる思想』大修館書店(2004)など。そのほか『岩波漢語辞典』『王朝文化辞典』などをはじめとする数々の辞書・辞典の編纂に携わり、GT書体プロジェクトでは日本語漢字監修を務めた。
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