Vol.5
山口 明穗
「なせばなる なさねばならぬ なにごとも ならぬはひとの なさぬなりけり」
上杉鷹山は1751年日向高鍋藩主秋月種美の次男に生まれた。米沢藩主上杉重定に子がなかっため、その養子となり、1767年第十代米沢藩主となった。鷹山の号を名乗ったのは、養父の死後のことである。鷹山は、大倹約令を出すなどさまざまの改革を進めた。藩校
この歌は、私は小さい頃から馴染んでいた。勉強しろと言われる。試験があればもっとよい点を取れと言われる。「そんなこと言ったって無理だよ」などと言おうものなら「やればできる」と必ずと言っていいくらいに、家族の説教にはこれが引かれた。それだけに、これには恨みがある。
落語の『天災』には、「堪忍の なる堪忍は 誰もする ならぬ堪忍 するが堪忍」と、怒りっぽい仲間に道を説く話がある。「できない堪忍をするのが本当の堪忍」という内容である。「堪忍のなる堪忍が堪忍か、ならぬ堪忍するが堪忍」は、同じ内容であるが、江戸時代の文献にもある。古くから人々の間で言い慣わされた言葉であったと考えられる。
まだ勤めていた頃、中央大学の校庭では昼の授業が終わると、夜の授業の始まるまで一時間足らずの休憩時間となる。この時間は、クラブに属する学生たちの活動時間であった。演劇部か放送部か、大きな声で言葉を揃えて叫ぶのは、発声練習をしているのであろう。発声練習は普通「あえいうえおあお」というのがお定まりであるが、聞こえてくるのは「なせばなる」であった。その内容からいってみんなの気に入りであったのだろう。暮れかかった夕方、研究室にいるとこれが聞こえてくる。なかなかの風情であった。ただ、その中で気にかかる一箇所、下の句が「なさぬはひとの なさぬなりけり」と叫ぶことであった。これでは「なさぬのは、なさぬことだ」となってしまい、この歌にこめられた作者の気持ちはなくなってしまう。
「なる」の意味は、『日本国語大辞典』によれば、「なかったものが、新たに形をとって現れ出る」とある。言い換えれば、誰かがしたのではなく、そのことが自然となったということである。
「なる」と同じに可能を表す語に、「できる」がある。「できる」は、「
「なる」「できる」は、「辛抱がなる」「英語ができる」のように、助詞「が」を使った。「使った」と言ったのは、今は少し変化してきているように見えるからである。変化というのは、「堂々たるピッチングをできるピッチャー」(2001年ドラフト会議後の王貞治さんの発言)「英語を話せると友達が増える」のように、「が」に代わって「を」が使われる傾向にあるからである。
「が」から「を」への変化、これが、この先どうなるか。「を」の使用がますます進むか、あるいは、古い形に後戻りするか。
古語には次のような例がある。
「
「や」は反語の助詞。「え」は、可能の意味を添える副詞。「えす」で「できる」の意味になる。「え」は、関西地方の「よう」に当たる。
「心あてに折らばや折らむ初霜の置きまどはせる白菊の花(=当て推量で折るならば折ることができるだろうか。初霜が降り、どちらがそうか迷わせている白菊の花を)」 (『古今集』277)
「や」は疑問の助詞。「折ることができるだろうか」と訳したが、原文通りに訳せば「折ることが実現するだろうか」となる。
奈良時代から平安時代中期の日本語は、現代の日本語とかなり隔たりのある日本語であった。ここでは、違う点の一つとして、可能に関することを表す語として、どのように使うかを考えてみる。
「十日もあれば完成できる」「何とか、みんなに伝えられるとよい」「駅まで五分で行かれる土地を探す」「みんなが集まれる日を探して行きたい」などは、どこにでもあるようなものであるが、古い時代の日本語ではどうかと言えば、探しだそうにも極めて難しいものである。
「心当てに」の歌では、「折らばや折らむ」が「折るならば折ることができようか」と解釈される。この解釈は、「「折る」という動詞の解釈に、「できる」の語を補っている。その補いのわけは、そうすることが、解釈を読む相手に最も分かり易いという狙いがあったからである。そして、読む相手の言葉遣いに適合することが大事になるといえるのである。この、可能に関する語を補う解釈の言葉は、先に挙げた現代語の例と合わせてみると、うまく合っていることが分かる。
次に挙げる二つ例も同じである。
「散りぬれば恋ふれどしるしなきものを今日こそ桜折らば折りてめ(=散り始めたので、恋慕っても何の甲斐もないが、今日こそ桜を折るならば折ってしまえるであろう)」(『同』64)
「白雲の絶えずたなびく峰にだに住めば住みぬる世にこそありけれ(=白雲の絶えずたなびいている峰でさえ住んでみると住むことができた)」(『同』945)
「老いぬればさらぬ別れもありといへばいよいよ見まくほしき君かな(=年を取ると死という別れがあるというので、ますます貴方に逢いたいことだ)」(『同』900)
「さらぬ別れ」の「さら」は、「避ける」意の動詞「避る」の未然形、「ぬ」は打消しの助動詞「ず」の連体形であり、避けることのできない「死別」の意味である。これも違うものではない。
古語の中で可能の意味をとらえるには、それを示す語を補わなければならない。古語と現代語の違いがあるからで、その違いは、単に言葉が違うだけではなく、発想もまた違っていることを理解する必要があるのである。
平安時代末になると「南ははるかに、野の方見やらる」(『更級日記』)。さらに鎌倉時代の末期『徒然草』の頃になると、「かくてもあられけるよ」「家の作りやうは夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる」等の例が現れ、その頃には、可能の言い方も広がった。