Vol.2
川西 蘭
最初の小説を書いたのは18歳の時だ。今読み返すと、漢字をたくさん使っている。受験勉強の名残かもしれない。当時は小論文に限らず、使えるだけの漢字をすべて使って答案を書くのが良いとされていた。単純に、その方が賢そうに見えるからだろう。
初めての小説で漢字が多くなったのは、緊張していたからで、賢く見せたいと望んだからではない。賢く見せたければ、学園恋愛小説とは別のジャンルを選んでいただろう。
緊張して、懸命に書いた結果、漢字が多くなり、文体も堅くなった。生硬な感じが実に初々しい。なんと言っても18歳ですからね。
初めての小説をピークに漢字の使用量は減っていく。慣れたせいもある。が、小説全体をもっと柔らかな感じにしたいと思ったのだ。
できるだけ難しい言葉を使わないようにすると、必然的に漢字は少なくなる。
知的レベルが下がったのではないか、と思われるかもしれない。たしかに、それはないとは言えない。ぐうたらな大学生活で受験のために詰め込んだ知識を失っていったのは事実だ。おまけに、20歳をすぎると、酒を飲み始める。脳細胞は弛緩し、記憶はもちろん、思考力まで怪しくなる。しかし、まあ、最初から大したことはないのだから、下がったとしても誤差程度ではあるが。
減少を続けていた漢字の使用量が急上昇に転じた時期が一度だけある。
手書きからワードプロセッサに変えた時だ。
1980年代末あたり、私は30歳の手前だった。
当時のワープロ専用機の性能はそれほど高くなかった。私が最初に買ったのは、ブラウン管のモノクロ画面に400字程度表示できる機種だった。現在では考えられないほど少ないが、それでも、一行や二行しか表示できなかった時代に比べれば、格段の進歩だ。前後の文章を確認しながら入力できることが、私のワープロ使用の条件で、それが満たされるまで(そして、購入可能な価格で提供されるまで)かなり待った。
初めて購入したワープロは、新JIS(83JIS)の文字しか使えなかった。
記憶が曖昧で恐縮なのだが、第二水準まで使えたはずだが、読み込むのに非常に手間がかかった気がする。フロッピーディスクを挿して、本体に文字データを読み込む方式だった。文書記録用のFDDと二つ挿し口があった。
前回書いた、文字コードの研究会では、「文字(漢字)が足りない」ことが前提となっていた。たしかに足りなかった。名簿を作れば、すぐにわかる。人名も地名もまともに表示できない。
ところが、私が小説を書く分には、ほとんど不自由を感じなかった。新JISで充分なのである。ワープロにして漢字の使用量が増えたのは、変換キーを押せば、漢字が出てくるからだ。辞書を引かなくても漢字が書ける。調子に乗って漢字変換していたら、横書き表示の影響もあるのか、やたらと文章が堅苦しく理屈っぽくなっていった。
初めて小説を書いた時と状況や心情は似ているが、あいにく私はもう30歳前のおっさんになっていた。初々しいなどと言っていられない。
仕方がないので、ワープロで作成した堅苦しい文章を手書きで柔らかくして、再度ワープロに入力した。手間がかかるので、時間のない時には手書きだけにする。だから、当時書いた小説の原稿は、ワープロのプリントアウトと手書きの原稿用紙がごちゃ混ぜになっていた。
データで原稿を入れるなどという気の効いたこともできず(当時のワープロ専用機は独自の形式でデータを保存していた)、手書きよりも手間暇がかかり、目や首や肩の疲れも激しいのに、なぜ、ワープロを使ったのか、今考えると、不可思議だ。たぶん、機械が好きだったからだろう。
機械をいじるのが楽しいので、原稿を書く苦労を意識しなくて済んだのだ。もっとも、そういう幸福な時間は長くは続かない。ほどなくワープロに慣れて、原稿を書く苦しみだけが戻ってきた。苦しさから逃れるために、できるだけ早く原稿を入力するようになると、漢字の使用量はまた減っていった。
ワープロからパソコンに移行した時には、漢字の使用量の変化はなかった。文体が安定した、と言えば、聞こえが良いが、中年になって外界からの刺激に鈍感になったにすぎない。
そんな私も、しばらくすると、パソコンで扱える漢字の少なさを痛感するようになった。書く小説が変わったからではない。仏教を学び始め、経典に接する機会が増えたからだ。
経典に関して仏教徒が守るべきルールがある。
一字一句変更してはいけない。
経典に出てきた文字はそのまま書かなければならないのだ。経典にはパソコンで表示できない漢字がわんさとある。仏教徒として誠実であろうとすると、外字を一文字ずつちまちまと作成しなければならない。この作業は恐ろしく面倒だ。篇と旁を別々に出したり、パーツを足したり引いたりで疑似表示する方法もあるが、しかし、検索はできない。
もっと漢字を、と初めて私は切実に願った。
早稲田大学(政治経済学部)在学中『春一番が吹くまで』で作家デビュー。以後、映画化された『パイレーツによろしく』など話題作多数発表。近作に、自転車ロードレースに熱中する少年たちを描いた『セカンドウィンド 』シリーズがあり、第三部まで既刊。来春、第四部(最終巻)を刊行予定。『坊主のぼやき』など仏教関係の著作もある。浄土真宗本願寺派僧侶。東北芸術工科大学文芸学科教授。