Vol.3
大谷 雅彦
「歌会」という特殊な場について、もうすこし書いておきたい。
歌会に出席するのは、多くはおなじ結社(短歌愛好者のグループ)の会員たちである。ほとんどの場合彼らは短歌の実作者であり、また読者でもある。自らの作品を提出して歌会の席上で批評を受け、同時に、他の出席者が提出した作品を批評するのである。これはひとつの作品が一行に収まるという短歌独特の形式によって成り立っているわけで、散文の作品批評会では考えられない。散文の場合は、少なくとも参加者には事前に批評対象の作品が配布されており、作品がすでに読まれているところから批評会がはじまるのが通例であろう。ところが、歌会では、参加者は当日になって初めて批評対象の作品を目にするのがふつうである。百人を超えるような参加者の歌会では事前に詠草を郵送しておくこともあるが、数十人程度の歌会では当日会場で詠草が配られるのである。詠草の提出が間にあわなかった参加者が当日会場のボードに自分の作品を書き出すこともある。ちなみに、詠草はそれぞれの作品の作者名が伏せられたままで配布されるのがふつうである。
さて、歌会がはじまると、最初に「選歌」が行われる。配布された当日の詠草の中から自分が注目する作品を抽出するのである。小さなメモのような選歌用紙が配られるので、そこに自分の名前と選んだ作品の番号(通常作品にはそれぞれ通し番号が付けられている)を書き込んで世話役(あるいは司会者)に提出するのである。歌会の最初の数十分はこの選歌作業に当てられる。提出された作品数にもよるが、各人三首から五首程度(この数は当日世話役が決める)の歌を選ぶ。全員の選歌用紙を集計して、ようやく作品批評の時間となる。
まず、歌番号ごとにその歌を選んだ人数(点数)を発表し、その後、歌番号一番の作品から批評がはじまるのである。歌会によっては点数の最も多かった作品からはじめる場合もある。
作品批評の手順として、最初に、批評する作品を読み上げるのであるが、これを「披講(ひこう)」といい、当日世話役から指名された会員が担当する。作品数に応じて前半後半と二人で分担する場合もある。披講者は作歌歴のそれなりにあるベテラン会員であることが多い。朗詠というほどではないが、短歌の場合は作品を一定の調べに乗せて読み上げることが多く、歌の中の漢字がうまく読めなくて一首の理解を妨げるようなことがないように運営側が配慮するのである。披講者に指名されることは歌人として一定の評価をされているわけで、指名された当人にとっては名誉である。この披講は、おなじ作品を通常二回程度読み上げる。
披講が終わると、司会者はその作品を選んだ会員にそれぞれ発言してもらう。そのあとは挙手により自由に発言を募ることが多い。司会者は歌会の進行に気を配り、ある作品にかける時間が多くなりすぎないように、また予定時間内に全作品の批評ができるように発言を調整する。通常参加者全員が自分の作品を提出していてそれにたいする批評を聞きたいと望んでいるので、なるべく平等に批評が受けられるように配慮するのである。
批評は一首ずつ進めていくが、結社の主催者あるいは有力な幹部の会員が参加している場合、最後にまとめの批評をすることが多い。それまでに出された意見を踏まえて、一首を総括するのである。その一言を聞きたいがために参加するという会員も少なくない。
このようにして最後の作品の批評が終わると、作者名の発表が行われる。歌会によっては、得点の多寡によって順位が付けられ、高得点の人に賞品が用意されていることもある。老若男女、職業を問わず、おなじ短歌という一つの文芸様式を学ぶ場にあって賞品の授与というのもどうかと思われるかもしれないが、古くからごく一般的に行われてきたセレモニーである。得点の入りやすい作品を狙って作り歌会に提出する人も出てくるわけだが、そのような心根はふと作品中に滲み出てしまうもので、良い結果に結びつかなかったという経験の持ち主は多い。
作者の感動を言葉で、しかも伝統的な五句三十一音の形式で表現するというのが短歌であるが、ときとして独りよがりな表現に陥ってしまう場合もある。歌会という場で批評を受けることによって、自分一人の呟きのような言葉が次第に洗練され、読者の裡に作者の感動が再現されるようになれば、その一首は短歌作品として昇華を遂げたといえるだろう。
歌会において、実際にどんな批評が交わされているのかというと、大きくは二つに分類できる。定型詩としての技術的な問題に関するもの、詩としてのモチーフに関するもの、である。「てにをは」などの助詞の用法について、ここは「の」ではなくて「が」のほうが主語がはっきりして一首全体の見通しがよくなるとか、親子の関係をこのように表現したのは斬新であるなど。歌会には、初めて参加する人もいれば十年二十年というベテランもいる。批評の言葉もさまざまで、上(かみ)の句に歌われている情景がすばらしくありありと目の前に浮かぶようで点を入れました、という意見があるかと思うと、おなじ作品について、これでは美しすぎて作者がほんとうはどのように感じたのか伝わってこない、という否定的な意見が出ることもある。あるいは、有名な歌人の作品を例に挙げて、すでにこのように歌われている事例があるので本日提出されたこの作品には新しさがなく既視感が漂う、というような厳しい意見もときには飛び出すのである。
歌会の参加者は各人の習熟度に応じてそれぞれの批評を受けとめることになるのだが、個々の作品については好悪の感情も絡んでくることがあり、作品の客観的な評価というものは歌会の場ではなかなか形成されにくい。歌会で酷評されたおなじ作品が、後日結社の雑誌に掲載され好評を博することもある。そういう経験を多くの会員が持っているので、歌会での批評を冷静に受けとめ、また次回の歌会に臨むのである。
(この項続く)
1958年兵庫県生まれ。歌人。
立命館大学卒業。1976年「角川短歌賞」を受賞。歌集『白き路』(1995年)、『一期一会』(2009年)。
※写真:現代バラの第1号といわれるバラ「ラ・フランス」。写真は、大谷氏よりご提供いただいたものです。