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エッセイ

Vol.4

日本語は、頑固なダブルデッカー(四)

大岡 玲

2013.07.23

 唐朝・玄宗の治世に入るあたり、すなわち七世紀の終わりから八世紀の初頭の頃に、張さくあざなは文成)が著したとされる『遊仙窟』。この書は、世に現れてほぼ同時期に、おそらくは遣唐使のだれかが持ち帰る形で日本に輸入された。

 文学史にくわしい方なら、万葉の時代から江戸期、いや、明治大正にいたるまで、どれほど多くの文人たちにこの『遊仙窟』が愛されてきたかよくご存じだろう。万葉集であれば、大伴家持の「夢のあいは苦しかりけりおどろきてかき探れども手にも触れねば」という歌や、山上憶良(彼が唐から『遊仙窟』を持ち帰ったのでは、という説もある)の漢文調の「沈痾自哀文ちんあじあいぶん」に、そのあきらかな影響が見てとれる。

 あるいは、真言宗創始者の空海が二十四歳の折に、みずからの出家宣言として書いた対話小説三教指帰さんごうしいき』。あるいは『源氏物語』。あるいは、『源平盛衰記』。西鶴の『好色一代女』。この作品を引用したり、匂い付けに使ったりした文藝は枚挙にいとまがない。近代では、幸田露伴が日本の古典文学における『遊仙窟』の多大な影響を論じ、里見弴の花柳小説にもこの作品の残響が聴きとれる(そもそも『遊仙窟』は、花柳の巷の出来事を仙界に擬した趣向の作品である)。そうした経緯があればこそ、いまだに岩波文庫をはじめとして、日本では手軽に『遊仙窟』の翻訳を読むことができるのである。

 しかし、これまた有名な話なのだが、この『遊仙窟』、本家の中国では世に出た当初こそ多少の評判をとったものの、やがて文学史の彼方に埋もれ忘れ去られていったのだ。ようやく江戸期、清朝時代に中国に逆輸入され、かの地で復活したといういわくつきの小説なのである。日本では上は天皇までもが熱狂的に愛好し、本家では亡佚ぼういつというこの数奇は、どうしておきたのか。

 これもすでに述べてきた、わが国と中国の文学的風土の違いということになるだろう。というのも、『遊仙窟』は『長恨歌』のような穏やかで抑制された「恋心」ではなく、ポルノグラフィーとまでいうといささか言い過ぎになってしまうが、しかし、まことに直情的エロティシズムに満ちた「恋」を描いているのである。つまり、中国文学の規範から「過激」にはみだしたがゆえの「忘却」、という風に考えることができるのではないか。

 物語の主人公・張文成(作者と目される張鷟とおなじ名前だ)は、朝廷の命を受け任地に旅立つ。その途上、深山の仙境に迷いこみ、とある壮麗な屋敷にたどりつき宿を乞う。そこで垣間見た崔十娘さいじゅうじょうという絶世の美女に、文成ははげしい恋心を抱く。十娘は、十七歳の時に夫を戦場でなくし、同じく戦いで夫をなくした兄嫁の五嫂ごそうと共に侍女たちに囲まれて暮らしている。

 屋敷に招きいれられた主人公は、十娘と五嫂にもてなされ、日がとっぷり暮れるまでうたげの歓を尽くす。そのあいだ、右に左に彼の恋心をいなそうとする十娘に、熱き心情をこめた詩を次々に捧げ、返詩で拒まれ、懲りずに戯れかかり、諧謔と機知に富む五嫂の助けもかりつつ、少しずつ十娘の堅い守りを崩していくのである。そして、ついにその夜、寝室を共にした文成と十娘は、情熱のほとばしるまま愛を交わすのだった。その箇所を、『中国古典小説選 4』(明治書院)から引くと、こんな感じだ。

 「手を赤い下着に挿し入れ、足をみどりの掛けものの中で絡ませ、唇を重ね、片腕は首の下にまわし、乳房をまさぐり、腿を撫でた。唇を吸うごとに快感が走り、抱きしめるごとに心は激しく揺れた。息が詰まり、胸が固まりそうになる。たちまちのうちに眼がくらみ耳が熱く、脈は膨れ筋が緩む。私は始めて知った、私にとって十娘がただ一人のいかに大切な人であるかを。しばらくの間に私たちは何度も交わった。」

 興奮にわくわくしつつ、われらがご先祖たちがこのくだりをむさぼり読む姿が目に浮かぶようだ。しかし、こうした直接的エロスのみが、古代の日本人を熱狂させたわけではない。むしろ、このクライマックスにいたるまでの道のりこそが、彼らに大いなる共感とわきあがる興奮を与えたのだ、というのが私の考えである。

 その「道のり」とは、文成と十娘のあいだに交わされる詩のやりとりが表現する、「恋」がいきつもどりつする姿である。洗練された文体でありながら、述べられる内容は若きほとばしりのごとく直截ちょくせつきわまる。「ふいに愛しさが芽生え/我知らず切ない思いが眼の中で揺れました/私の眼がよこしまであなたを見たのではありません/ひたすら心があなたに惹きつけられているせいなのです」と文成がうたいかければ、「眼と心は場所が違い/心と眼はもともと別々で/眼だけが私を見たのであれば/こころは誰に私のことを教えてもらうのですか」と十娘が返す。

 このやりとりは、歌垣にはじまるわが国の相聞歌の伝統に、そのまま生き写しなのである。文成と十娘が愛を生身で交わしあうまでに、延々と続けられる恋のさや当て、あふれでる言葉の戯れが、万葉人を酔いしれさせたのだ。先進国の唐王朝の、それも文章家として名をはせた張文成の作品に、自分たちと同じ古代性を発見したわれらがご先祖さまたちの歓喜。それこそが、『遊仙窟』の数奇な運命を生んだのだ、という気がしてならないのである。

この項続く



大岡 玲(おおおか あきら)

1958年東京都生まれ。東京経済大学教授(日本文学)・作家

東京外国語大学大学院ロマンス系言語学科修了。89年『黄昏のストーム・シーディング』で三島賞、90年『表層生活』で芥川賞を受賞。書評やエッセイ、イタリア語を中心とした翻訳も手がける。近著に『本に訊け!』(光文社)、『文豪たちの釣旅』(フライの雑誌社)など。文芸誌『こころ』(平凡社)で、2013年4月から連作短篇の連載を開始。

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