Vol.4
大岡 玲
唐朝・玄宗の治世に入るあたり、すなわち七世紀の終わりから八世紀の初頭の頃に、張
文学史にくわしい方なら、万葉の時代から江戸期、いや、明治大正にいたるまで、どれほど多くの文人たちにこの『遊仙窟』が愛されてきたかよくご存じだろう。万葉集であれば、大伴家持の「夢の
あるいは、真言宗創始者の空海が二十四歳の折に、みずからの出家宣言として書いた対話小説『
しかし、これまた有名な話なのだが、この『遊仙窟』、本家の中国では世に出た当初こそ多少の評判をとったものの、やがて文学史の彼方に埋もれ忘れ去られていったのだ。ようやく江戸期、清朝時代に中国に逆輸入され、かの地で復活したといういわくつきの小説なのである。日本では上は天皇までもが熱狂的に愛好し、本家では
これもすでに述べてきた、わが国と中国の文学的風土の違いということになるだろう。というのも、『遊仙窟』は『長恨歌』のような穏やかで抑制された「恋心」ではなく、ポルノグラフィーとまでいうといささか言い過ぎになってしまうが、しかし、まことに直情的エロティシズムに満ちた「恋」を描いているのである。つまり、中国文学の規範から「過激」にはみだしたがゆえの「忘却」、という風に考えることができるのではないか。
物語の主人公・張文成(作者と目される張鷟とおなじ名前だ)は、朝廷の命を受け任地に旅立つ。その途上、深山の仙境に迷いこみ、とある壮麗な屋敷にたどりつき宿を乞う。そこで垣間見た
屋敷に招きいれられた主人公は、十娘と五嫂にもてなされ、日がとっぷり暮れるまで
「手を赤い下着に挿し入れ、足を
興奮にわくわくしつつ、われらがご先祖たちがこの
その「道のり」とは、文成と十娘のあいだに交わされる詩のやりとりが表現する、「恋」がいきつもどりつする姿である。洗練された文体でありながら、述べられる内容は若きほとばしりのごとく
このやりとりは、歌垣にはじまるわが国の相聞歌の伝統に、そのまま生き写しなのである。文成と十娘が愛を生身で交わしあうまでに、延々と続けられる恋のさや当て、あふれでる言葉の戯れが、万葉人を酔いしれさせたのだ。先進国の唐王朝の、それも文章家として名をはせた張文成の作品に、自分たちと同じ古代性を発見したわれらがご先祖さまたちの歓喜。それこそが、『遊仙窟』の数奇な運命を生んだのだ、という気がしてならないのである。
(この項続く)
1958年東京都生まれ。東京経済大学教授(日本文学)・作家
東京外国語大学大学院ロマンス系言語学科修了。89年『黄昏のストーム・シーディング』で三島賞、90年『表層生活』で芥川賞を受賞。書評やエッセイ、イタリア語を中心とした翻訳も手がける。近著に『本に訊け!』(光文社)、『文豪たちの釣旅』(フライの雑誌社)など。文芸誌『こころ』(平凡社)で、2013年4月から連作短篇の連載を開始。