Vol.7
大岡 玲
比較的地味な教育学者だった齋藤孝先生を、一躍スター学者にした2001年の大ベストセラー『声に出して読みたい日本語』には、まさにタイトル通り音読すると実に気持ちの良い古典的な文章がめじろ押しに並んでいた。その第一章「
たしかに『平家物語』は、
だが、『今昔物語』ほどではないが、この『平家物語』にもその出自や系譜についていろいろ不明な点は多い。最初のテクストの作成者、つまり原作者がだれかということについても、一番古くはかの『徒然草』二二六段で、吉田兼好が「信濃前司行長」こと「藤原行長」を名指して以来、さまざま説が行き
「語り本」系と「読み本」系(『源平
が、まあ、とりあえずそうした詮索はさておいて、素直に『平家物語』を眺めると、その文体の不思議な美しさにハッとさせられる。まずは、齋藤先生の『声に出して読みたい日本語』に取り上げられた冒頭部分を引用してみよう。
祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色盛者必衰の理を顕す 奢れる人も久しからずただ春の夜の夢の如し 猛き者もつひには滅びぬ偏に風の前の塵に同じ (『平家物語』巻第一「祇園精舎」より)
「ギヲンシヤウジヤノカネノコヱ・・・」と旧カナを思い浮かべつつ音読したりすると、その漢文調子がひときわ深々と沁みてくる。ような気がするのは、私の思い込みかもしれないが、とにかく硬調な音の連なりが心地よい。その一方で、たとえば高倉天皇(清盛の娘・徳子を中宮にしていた)の寵愛をうけたがために、清盛によって迫害される宮中の女房の悲劇を描く「
少将もしやと一首の歌を詠うで小督殿のおはしける局の内へぞ投げ入れたる
思ひかねこころはそらにみちのくのちかのしほがまちかきかひなし
小督殿やがて返事もせまほしう思はれけれども君の御為御うしろめたしとや思はれけん手にだに取つても見給はず (『平家物語』巻第六「小督」より)
和歌がはさまっているせいで余計そういう雰囲気になるところもあるが、実に
和漢混淆文で著された代表的古典文学、というのが『平家物語』の一般的な説明なのだが、しかし、同じ混淆文といっても『今昔物語』のような単純さとは一味違っていることが、前記引用でもわかっていただけるのではないかと思うのである。歴史物・戦記物としては、あきらかに漢文脈を踏襲する方式を取り、同時に歴史の波に翻弄される男女の悲哀や恋の機微を描くには和文脈を駆使する。この両面作戦が、『平家物語』を躍動感としっとりした情緒の見事な合体形に仕立てあげ、かつ比類ない叙事文学にもしたのである。また、そのメリハリがあればこそ、能や歌舞伎の作り手たちの
生身の人間が演ずるという点では、複数の演者が登場する歌舞伎などのほかにも、一人で演ずる講談や、そして意外にも落語の世界でも『平家物語』は人気がある。一人芸の世界で『平家物語』が素材にされるのは、もともとが琵琶法師ひとりの口演によって演じられたものなのだから、考えてみれば当たり前かもしれない。そして、二種類の文体が使用されていた点を考えるなら、琵琶法師の「語り」(演奏)は構造的にすでに重層的、多声的だったと考えることが可能だろう。文体が二層構造になっていて、しかもさまざまな男女が登場するのだから、語りの多層性・多声性はますます強まるはずだ。
独り語りの講談や落語では、男と女、年齢差といった違いによって登場人物の声色を使い分ける手法が一般的だが、その起源は案外「平曲」の語り口調における根本的な多層性が影響しているのではないか、などと妄想を逞しくしたくなる。もっとも、落語の『源平盛衰記』は、『平家物語』の内容を前フリにしつつ思い切りギャグをぶち込むのがふつうだから、元ネタは別になんだっていいような気がしないでもないが。
(この項続く)
1958年東京都生まれ。東京経済大学教授(日本文学)・作家
東京外国語大学大学院ロマンス系言語学科修了。89年『黄昏のストーム・シーディング』で三島賞、90年『表層生活』で芥川賞を受賞。書評やエッセイ、イタリア語を中心とした翻訳も手がける。近著に『本に訊け!』(光文社)、『文豪たちの釣旅』(フライの雑誌社)など。文芸誌『こころ』(平凡社)で、2013年4月から連作短篇の連載を開始。