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エッセイ

Vol.8

日本語は、頑固なダブルデッカー(八)

大岡 玲

2013.11.19

 この連載の第二回目に、わが国の文学を「貫く棒の如きもの」(高浜虚子)である詩形式・和歌の出自について、私はこんな風に記した。

 「複数の男女が求愛歌を掛け合う「歌垣=歌掛き」は、作物の豊穣を祈る予祝儀礼とおそらくは一体化していたわけだが、それがやがて、未婚者による求婚行事へと発展していった。そして、そこからさらに、和歌を求愛道具としてやりとりする文化が育まれていったのである。

 その成果が、『万葉集』であり、『古今和歌集』以降の長大な和歌文学の伝統であり、歌物語の偉大な発展形である『源氏物語』であり、その後のヤマト言葉を使った日本文学すべての核になっているのである。こうした流れの中で、「おおらかでちょっぴりエッチな情緒」は、「恋」という日本の文学や芸能を貫くゆるぎない観念へと成長していったのだ。」

 つまり、和歌というのは「恋」を表現することに特化したきわめて特異な文学形式なのである。

いやいや、恋だけとはかぎらないんじゃないですか? だって、たとえば『百人一首』の巻頭歌「秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」(天智天皇)なんて、「秋の田んぼのそばにある夜番用の仮小屋。その屋根を葺いた苫の網目が粗いから、ほら、夜番をしている私の衣のそでは夜露でぐっしょり濡れてしまったよ」って意味だから、恋でもなんでもないでしょうが。

 というご意見も、当然あることと思う。たしかにごもっとも、一見ごもっともである。だが、『百人一首』では天智天皇御製とされていて、もとの出典は『後撰集』巻六のこの歌(と、ややこしい書き方をしたのは、御製ではないという説が有力なので)には、やはりちゃんと恋が匂っているのである。また、そうでなければ「幽玄」な恋歌を尊んだ藤原定家が、恋歌の教科書でもある『百人一首』のトップに持ってくるはずはない。

 では、この歌のどこが「恋」なのか? まずは、「かりほ」。これは、もちろん稲の穂を刈ることだが、「」は「」と同語源で、「形が人目につきやすく突きだしている状態」を意味している。「穂(秀)にづ」といった言い回しは、心の想いが表にあらわれていることを指すのだ。そして、「苫をあらみ」は「とを粗み」=「訪れが間遠」、「衣手は露に濡れつつ」はというと、「袖が涙でぐっしょり」。

 で、裏側の意味はこうなる。「秋の田の稲穂が育つように、私の想いも人目に立つほど大きくなってしまった。でも、あの方は訪ねて来てはくれない。私の衣のそでは夜露に濡れたように涙でぐっしょり」。ね、ちゃんと「恋」でしょう?

 なにが言いたいのかというと、要するに、和歌の形式に言葉をのせると、なんでもかんでも「恋」の匂いをまとってしまいがちだ、ということなのである。単なる叙景歌のつもりで読んだ歌であっても、深読みをされると恋歌の様相を呈してしまい、全然そんな気がなかった作者本人が目を白黒、といったケースだってありうるのだ。

 そういう「恋」ではないのに「恋」みたい、という例でとても面白い歌がある。まずは、その贈答歌二首。

こととなく君恋ひわたる橋のうへに
   あらそふものは月の影のみ

おもひやる心は見えで橋のうへに
   あらそひけりな月の影のみ

 「あなたのことを恋しいと思ってぼんやり橋の上にいるのですが、今夜も私の心と競っているのは冴え冴えとした月の光だけです」といった感じの一首目に対して、返歌はというと、

 「私は離れていても月と競うようにあなたを想っているのに、あなたの目には私の想いではなくて、月の光しか見えないんですね」という風だろうか。

 歌としては両方ともさほどの名品ではないが、ともかくも、はなればなれの恋人同士が月をはさんでちょっとじゃれている風情がよく表現されている……と思ったら、これがそうではないのだ。種を明かせば、これは西行法師とその親しい友である西住法師のやりとりなのである。一首目が西行で返歌が西住。

 え? 西行法師って、男性好きだったの?!などと早とちり(あ、いや、その可能性を完全に否定するワケではありませんよ)してはいけない。『山家集』に収められたこの二首の詞書には、「高野山の奥の院の橋の上で、ふたり明月を眺め明かした時のことを思いだし、遠く離れた京の都にいる西住に宛てて詠んだ」とあるから、高野山で共に修行をしていた頃を懐かしんで西行(おそらく、彼はこの歌を詠んだ時、高野山にいたのだ)が歌を贈ったということだろう。友情の絆を確認する歌なのである。

 「恋ふ」という動詞は、もちろん、異性間のみに使われるものではないが、それでもこのやりとりは恋の相聞に見えるし、西行も西住もそれは重々承知だっただろう。というか、その風情をも含めて愉しんでいた、のだという気がする。それにしても、このやりとり、「友情」を題材にする時ひときわ光り輝く漢詩で行われたものだったとしたら、いったいどんな雰囲気だったのだろう。西行さんは、当然漢詩の心得もあったのだから、この相聞歌の漢詩バージョンをついでに作っておいてくれればよかったのに、とつい思ってしまうのである。

※)高浜虚子の句より。(昭和25年)

この項続く



大岡 玲(おおおか あきら)

1958年東京都生まれ。東京経済大学教授(日本文学)・作家

東京外国語大学大学院ロマンス系言語学科修了。89年『黄昏のストーム・シーディング』で三島賞、90年『表層生活』で芥川賞を受賞。書評やエッセイ、イタリア語を中心とした翻訳も手がける。近著に『本に訊け!』(光文社)、『文豪たちの釣旅』(フライの雑誌社)など。文芸誌『こころ』(平凡社)で、2013年4月から連作短篇の連載を開始。

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