Vol.4
このコーナーでは、はるこ先生が漢字にまつわるさまざまな話題を皆様にご紹介します。
前回は、2013年の大河ドラマの舞台、新島八重が戊辰戦争を戦った鶴ヶ城をご紹介しました。
今回は、戊辰戦争の悲劇、白虎隊が命を落とした飯盛山へ向かいます。
飯盛山は会津若松市の中心部から東側にある標高314mの山で、市街地を一望できます。
幕末の会津藩が組織した部隊は、中国の故事で「方角の守護神」とされている「玄武」「青龍」「朱雀」「白虎」にちなんで名づけられ、年齢別に4つの隊に分かれていました。白虎隊は16歳から17歳の武家の男子、約340名によって構成されていました。
戊辰戦争での激しい戦乱の中、本来予備兵であった白虎隊も前線へと駆り出されますが、会津藩の劣勢が覆ることはありませんでした。戦禍を潜り抜け、命からがら飯盛山にたどりついた20名の白虎隊士が目にしたのは、一面火の海となった鶴ヶ城城下。もはや会津藩に勝ち目がないことを悟った白虎隊士は、飯盛山で自刃することを選びました。
飯盛山には戊辰戦争で自刃した白虎隊士墓や、会津藩士とともに戦った武家の婦女子の霊を慰める石碑が祀られています。
《鶴ヶ城を望む白虎隊士の像》
写真右側の「白虎隊殉難士各霊塔」と刻まれた文字のうち、「難」「霊」「塔」が異体字の「」「」「」になっていました。
《白虎隊記念館外観》
白虎隊記念館には、白虎隊の自刃の様子を描いた絵画や、白虎隊士の直筆の手紙など、貴重な資料が展示されています。
また、戊辰戦争だけでなく、幕末の外交や生活をうかがい知れる多数の展示品が収蔵されています。
会津藩で使われていた幕末の弾薬箱には、藩旗と同じ「」が記されていました。
《弾薬箱のイメージ》
※こちらも展示物は撮影不可だったため、イラストでご容赦ください。
⇒ 白虎隊記念館
《さざえ堂外観》
飯盛山には、日本唯一の二重らせん構造の仏堂である国重要文化財「さざえ堂」が建立されています。
江戸時代後期に建てられた平面六角形の三層構造で、正式名称は「円通三匝堂」(えんつうさんそうどう)です。右回りに上る斜路と左回りに下りる斜路が別々に存在するため、他人とすれ違うことなく一方通行で拝観でき、世界的にも珍しい建築物とされています。
⇒ AIZU SAZAEDO OFFICIAL WEBSITE
飯盛山のふもとで見つけた藩旗は紺地に白の「」でした!
しかし肝心の「白虎隊伝承史学館」はすでに閉館時間をすぎていたため見学できず・・・残念!
《紺地の藩旗》
いよいよ会津の旅最終回。「会津」の歴史に迫ります。
街中や観光地で看板や石碑に異体字などの読めない漢字を見つけたら、超漢字検索で読みや関連字を調べてみましょう。
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