漢字探検隊

Vol.6

日本の神様の名前

このコーナーでは、はるこ先生が漢字にまつわるさまざまな話題を皆様にご紹介します。

2013.02.26

前回の会津の旅で訪れた伊佐須美神社の写真を見ていたところ、神様の名前に使われている漢字が気になってきました。

「伊邪那岐命」?「伊弉諾尊」?

伊佐須美神社の御祭神

国土開拓の神様である、イザナキノミコトとイザナミノミコト。前回の旅の本文では『古事記』の記述に沿って「伊邪那岐命」「伊邪那美命」と表記したのですが、伊佐須美神社の由緒には「伊弉諾尊」「伊弉冉尊」と書かれています。

実は、「伊弉諾尊」「伊弉冉尊」は、日本最古の正式な歴史書『日本書紀』にのっとった表記なのです。

いっぽう、オオヒコノミコトとタケヌナカワワケノミコトも日本書紀に登場し、それぞれ「大彦命」「武渟川別」と表記されていますが、伊佐須美神社の御祭神には「大毘古命」「建沼河別命」とあります。
日本書紀では会津の由来にまつわる伝説に触れられていないため、由緒には古事記の表記を使っているようです。

「尊」も「命」も「ミコト」と読み、神様や貴人の名前の下につける敬称です。
『古事記』では「命」に統一されていますが、『日本書紀』では「尊」を最も貴いものに、「命」をその他のものに対して使い分けています。

『古事記』と『日本書紀』を比べてみると・・・

では、他の神様の名前は、『古事記』と『日本書紀』でどう表記されているのでしょうか。

古事記日本書紀備考
天照大御神
(アマテラスオオミカミ)
大日孁貴神
(オオヒルメノムチノカミ)
天照大神
(アマテラスオオミカミ)
イザナキがイザナミと決別し黄泉の国から戻って禊(みそぎ)をした際に、左の目を洗って生まれた神。高天原(たかまのはら=天界)を統治する。
「ヒルメ」は「日の女神」、「ムチ」は「高貴な者」を表すとされる。
月讀神
(ツクヨミノカミ)
月神
(ツキノカミ)
月弓尊
(ツクユミノミコト)
月夜見尊
(ツクヨミノミコト)
月讀尊
(ツクヨミノミコト)
イザナキが右の目を洗って生まれた神。夜の世界を統治する。
月の神、暦の神などといわれている。
建速須佐之男命
(タケハヤスサノオノミコト)
素戔嗚尊
(スサノオノミコト)
イザナキが鼻を洗って生まれた神。
暴れん坊で高天原から葦原中国(あしはらのなかつくに、日本の国土とされる。)に追放された。出雲で八岐大蛇(やまたのおろち)をを退治し、櫛名田比賣(クシナダヒメ)と結婚した。
「スサ」は荒れすさぶ意味、「進む」の意味、出雲の須佐郷に因んでいるなど諸説ある。
大國主神
(オオクニヌシノカミ)
大穴牟遅神
(オオナムヂノカミ)
葦原色許男神
(アシハラシコオノカミ)
八千矛神
(ヤチホコノカミ)
宇都志國玉神
(ウツシクニダマノカミ)
大國主神
(オオクニヌシノカミ)
大物主神
(オオモノヌシノカミ)
大己貴神
(オオアナムチノカミ)
葦原醜男
(アシハラシコオ)
八千戈神
(ヤチホコノカミ)
大國玉神
(オオクニタマノカミ)
顯國玉神
(ウツシクニタマノカミ)
スサノオの息子で、国造りの神、農業神、商業神、医療神などとして信仰されている。葦原中国の国作りを完成させた。稲羽素兎(いなばのしろうさぎ)を助けた神様としても有名。
「大國主」は国を治める主の意味、「シコオ」は強い男の意味。
天邇岐志國邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命
(アメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニギノミコト)
天邇岐志
(アメニギシ)
國邇岐志
(クニニギシ)
天日高日子
(アマツヒコヒコ)
天饒石國饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊
(アメニギシクニニギシアマツヒコヒコホノニニギノミコト)
天津日高彦瓊瓊杵尊
(アマツヒコヒコホノニニギノミコト)
彦火瓊瓊杵
(ヒコホノニニギ)
火瓊瓊杵
(ホノニニギ)
アマテラスの孫。
アマテラスの命により、平定された葦原中国を治めるために地上に降りたので、天孫(てんそん)とされる。
天孫降臨の際に「八尺の勾璁(やさかのまがたま)、鏡、草薙(くさなぎの)剣」の三種の神器を授かった。
「ニキシ」は柔和にするという意味、「ニニギ」はにぎやかの意味。

このように、『古事記』と『日本書紀』では、同じ読みでも異なる漢字が当てられることが多いようです。
また、一柱の神様に複数の名前がつけられているのは、古事記や日本書紀を編纂する際に、さまざまな神様の伝説・伝承が統合されたためとも言われています。

※神様を数える単位は「柱(はしら)」といいます。

日本神話に登場する兄弟伝説

さて、イザナキとイザナミは夫婦の神様ですが、日本の神様は、アマテラス(太陽)とツクヨミ(月)のように兄弟姉妹で対になって登場することがあります。
ここではその一部をご紹介します。

※神様の名前の漢字表記は古事記に倣います。

コノハナノサクヤヒメとイワナガヒメ

コノハナサクヤヒメ(木花之佐久夜毘賣)は花が咲くように美しい女性といわれ、姉のイワナガヒメ(石長比賣)は醜いが岩のように永遠性を持つ神といわれています。

コノハナサクヤヒメは天孫ニニギと出会い求婚され、姉のイワナガヒメとともにニニギのもとに嫁ぎます。しかしニニギは醜いイワナガヒメを送り返してしまったため、本来は岩のように永遠に続くはずだった神々の子孫の寿命が、木の花のように短くなってしまったとのことです。

海幸彦と山幸彦

ホオリノミコト(火遠理命)が山佐知毘古(やまさちびこ=山幸彦)、兄のホデリノミコト(火照命)が海佐知毘古(うみさちびこ=海幸彦)と呼ばれています。ニニギとコノハナサクヤヒメの息子です。
コノハナサクヤヒメが一夜で身ごもったのでニニギに不貞を疑われ、身の潔白を証明するために家に火をつけて、燃え盛る炎の中で生んだといわれています。

ホオリは猟師として獣を狩り、兄のホデリは漁師として魚を捕って暮らしていました。ホオリがホデリに互いの道具の交換を申し入れ、ホデリは三度断った後しぶしぶ交換を承諾したところ、ホオリは釣針を海の中になくしてしまいました。ホオリは兄に責め立てられ、釣り針を探すために綿津見神(わたつみ、海神)の宮殿に向かいます。
そこで、海神の娘であるトヨタマヒメノミコト(豊玉毘賣命)と結婚して三年宮殿で暮らしたのち、釣針と潮盈珠(しおみちのたま)・潮乾珠(しおひのたま)を得て地上に帰り、二つの珠の力で兄を屈服させました。


日本神話には、ほかにも兄弟や夫婦が対になって登場する伝説がたくさんありますので、ぜひ探してみてください!

日本書紀について

日本書紀は720年、天武天皇の第三皇子舎人親王が中心となってまとめた歴史書で、正史とされています。全三十巻で、巻一・巻二は神代、巻三神武天皇から巻三十持統天皇の時代までを扱っています。
本文はほぼ正格の漢文で書かれていますが、固有名詞の読み方や歌謡は万葉仮名で表記されています。
神代巻を中心に本文の後ろに「一書曰(あるふみにいわく)……」として異伝を掲載しているのが特徴的です。

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