漢字探検隊

Vol.15

色は匂えど…いろは歌

このコーナーでは、はるこ先生が漢字にまつわるさまざまな話題を皆様にご紹介します。

2013.07.09

先日、30年ほど前に平安京跡地で発掘された鎌倉時代の土器の小皿に、「いろは歌」が墨書きでほぼ全文書かれていることが判明した、と京都市埋蔵文化財研究所が発表して話題になりました。

いろは歌とは?

「いろは歌」とは、47文字の仮名を一度しか使わずに作られた七五調の文章で、平安時代の終わりごろに成立したとされています。
以来、ひらがなを覚えるための手本として、明治時代の初期まで広く使われていました。

いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす

色は匂へど 散りぬるを
我が世たれぞ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず

「あさきゆめみし」と聞いて、『源氏物語』を題材とした漫画を思い浮かべる方も多いかもしれませんね。

さて、今回発見された土器は、紙が貴重だった時代に、貴族の子どもたちが使い捨てのお皿に字を書いて、ひらがなを練習していたことを示しているとのことです。

いろは歌は、古くから生活に密着し、親しまれてきましたが、意外にも古い文献や資料があまり残っていないのだそうです。子どもが書くいろは歌は、落書きのようなものなので、残しておく価値がなかったということでしょう。
捨てたはずの一枚の小皿が、1000年経って非常に貴重な資料になるとは、書いた本人もびっくりでしょうね。

万葉仮名で書かれたいろは歌

これまでに見つかっている文献の中で最古のいろは歌は、1079年に成立した『金光明最勝王経音義』に書かれたものです。『金光明最勝王経音義』は『金光明最勝王経』という経典の漢字の意味や発音の解説書です。
いろは歌が仮名ではなく漢字で記されていて、経典の読み方を示すための一覧として使われています。

以呂波耳本へ止
千利奴流乎和加
餘多連曽津祢那
良牟有為能於久
耶万計不己衣天
阿佐伎喩女美之
恵比毛勢須

いろは順

いろは歌は、手習いのはじめに習うことから、物事の初歩のたとえとして「いろはから教わる」「○○のいろは」のように使われることがあります。

また、いろは歌は、ものの順番を示すのにも使われていました。
江戸時代までは、辞書の配列や名簿などはいろは順でした。現在でも、少しレトロなホールや映画館では、座席表の列が「いろは」順になっていることがあります。

栃木県日光市の中禅寺湖を往来するための坂は、48のカーブがあることから「いろは坂」と呼ばれています。上りは「い」から「ね」までの20のカーブ、下りは「な」から「す」と最後に「ん」を加えた28のカーブがあります。

江戸の町火消しも、いろは順に47組に分けられていました。町火消しの「め組」と力士の乱闘事件、通称「め組の喧嘩」は、歌舞伎や講談の題材にもなっています。

「いろはかるた」は、「いろは」の47文字を頭文字としたことわざを集めたカルタです。地域ごとに選ばれていることわざが異なるなどの特色が見られるそうです。

いろは歌の秘密

いろは歌は、いつ誰が作ったのか、いまだ明らかになっていません。
そのため、江戸時代には、作者の謎とあわせ、いろは歌には暗号が埋め込まれているという説が唱えられるようになりました。

その暗号とは、いろは歌を7文字ごとに区切り、それぞれの行の最後の文字をつなぎ合わせると現れます。

いろはにほへ
ちりぬるをわ
よたれそつね
らむうゐのお
やまけふこえ
あさきゆめみ
ゑひもせ

「とかなくてしす」つまり「咎なくて死す」と読めるというものです。

平安時代に不遇の死を遂げた歌人が、自分の無実を晴らすための暗号を歌に込めた……もちろん、真偽のほどは定かではありませんが、偶然なのか意図的なメッセージなのか、興味をそそられますね。

参考情報

いろは歌が書かれた土器は、京都市考古資料館で、2013年7月28日(日)まで展示中です。
興味がある方は足を運んでみてはいかがでしょうか。

京都市考古資料館

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