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エッセイ

Vol.2

日本語は、頑固なダブルデッカー(二)

大岡 玲

2013.05.28

 あこがれの漢字を移入することで、書字文化を手に入れることができたヤマト朝廷時代の日本。バイリンガル気分で浮きたちつつも、しかし、ただ中国の言語に染まるだけではすませなかった、妙にしぶといところのあるわれらがご先祖さまたち。

 彼らがそうした行為を無意識になんとなくおこなったのか、それとも自覚的だったのかは、とりあえず置いておくにしても、では、万葉仮名という借字体系を創ってまで文字に残そうとしたご先祖さまたち独自のなにかとはなんだったのだろうか。専門の学者ではない私の素人的思い込みを笑って許していただくなら、それは「古代性」だったのだという気がする。極私的表現をするなら、「おおらかでちょっぴりエッチな情緒」。

 いうまでもないことだが、中国大陸と日本では「文明度」のタイムラグがある。渡来人や遣唐使がもたらしてくれた、三国史時代から隋・唐に至るさまざまな文明の産物は、はっきり確認できるだけでも、その時点ですでに千年以上はあった過去の中国文明史の果実である。が、洗練されたそれらの産物を受けとるわがくにはといえば、いわば産声をあげたばかりの赤ん坊と同様の「文明度」、というといいすぎかもしれないが、「古代性」がたっぷり残っていたのである。

 つまり、先進文明の洗練を身につけたいと考えたとしても、身に合うものもあれば、そうでないものもあるわけだ。その証拠に、というと少々乱暴だが、唐から移入した律令制が日本でちゃんと彼の地風に機能したのは八世紀初めから半ばまでのごく短い間だった。人の暮らしの上部構造、社会的な約束事といっていい制度でさえそうであるなら、人々の生活感情や情緒に強く結びついた習俗などは、もっとしぶとく「言うことをきかない」に決まっている。

 そうした古代的習俗の代表例は、たとえば前回述べた「歌垣」だ。複数の男女が求愛歌を掛け合う「歌垣=歌掛き」は、作物の豊穣を祈る予祝儀礼とおそらくは一体化していたわけだが、それがやがて、未婚者による求婚行事へと発展していった。そして、そこからさらに、和歌を求愛道具としてやりとりする文化が育まれていったのである。

 その成果が、『万葉集』であり、『古今和歌集』以降の長大な和歌文学の伝統であり、歌物語の偉大な発展形である『源氏物語』であり、その後のヤマト言葉を使った日本文学すべての核になっているのである。こうした流れの中で、「おおらかでちょっぴりエッチな情緒」は、「恋」という日本の文学や芸能を貫くゆるぎない観念へと成長していったのだ。そして、そうなるためには、逆算するなら、どうしてもヤマト言葉の文字化が必要だったわけである。

 ん? 「恋」なら、別に中国大陸にだってあるのだから、むこうの言葉で詩にうたったって、物語にしたっていいんじゃないの? 英語のラブソングの方が、日本語なんかよりかっこよく感じられるのとおんなじじゃない? なんでそうしなかったのかな。という疑問が、ここまで読んでくださった方の脳裏を、あるいはかすめたかもしれない。

 たしかにその通りで、もしも当時の中国の詩文に「恋」がたくさん登場していたなら、きっと漢文によってわれらのご先祖さまたちは、さまざまな恋心を詠んでいたにちがいない。そして、そこからやがてなんらかの独自性を生みだしていっただろう。また、そうした道筋をたどっていれば、日本語は頑固な二重構造を持たなかったかもしれない。

 だが、そうはならなかった。なぜなら、中国の詩文には「恋」が存在しなかったからだ。少なくとも、日本のそれのようなおおらかすぎる形では。なにしろ、『万葉集』の巻第一に、日本の最高統治者である天智天皇と弟の天武天皇、そしてその二人が愛した額田王の三角関係を匂わせる歌が堂々と掲げられているのである。唐の王朝になぞらえるなら、大宗が兄の李建成と女性を争ったことを詩にして、それが『唐詩選』に採録されているというようなものだろうか。まあ、ありえない話だ。

 なぜありえないかということを述べはじめると、中国大陸の文学史を総揚げして語らなければならなくなるし、もちろん私にそんな能力はない。そこで、白川静先生という大碩学の威を借りるという卑怯な手を使い、かつ半可通的雑駁さで言ってしまおう(もちろん、この記述は私のバイアスがかかっているので、白川先生には何の責任もアリマセン)。

 『万葉集』が成立した時代は、中国の文学においておおらかな「恋」が歌われていた古代歌謡『詩経』の頃から、すでに千数百年が経っていた。つまり、これもタイムラグなのだが、さらに加えて、祖霊崇拝にもとづく「家」の重視と儒教が結びついた中国では、この千数百年の間に、文学の本流から「恋」が排除されていったのだ。そして、その代わりに情緒の担い手になったのは、男性同士の「友情」だった。

 つまり、「恋」を語りたくてお手本を眺めてみても、それに該当するものが見当たらない。それじゃあ、ここはひとつわれらの言葉をなんとか書き文字にして、われらの大切な「恋」を記してみようじゃないか。ぜひぜひ、そうしよう。という風なことだったのではないか、と私は妄想をたくましくしているのだが、そうした妄想を強化してくれるご先祖さまたちのふるまいについては、また次回に。

この項続く



大岡 玲(おおおか あきら)

1958年東京都生まれ。東京経済大学教授(日本文学)・作家

東京外国語大学大学院ロマンス系言語学科修了。89年『黄昏のストーム・シーディング』で三島賞、90年『表層生活』で芥川賞を受賞。書評やエッセイ、イタリア語を中心とした翻訳も手がける。近著に『本に訊け!』(光文社)、『文豪たちの釣旅』(フライの雑誌社)など。文芸誌『こころ』(平凡社)で、2013年4月から連作短篇の連載を開始。

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