Vol.3
月本雅幸
最近になって非常に強く感じるんですけれども、どの世界でも、伝統的な日本の文化とか芸術・学問の世界で、外国人の活躍、外国人の占める位置というのが非常に強くなっております。
この漢文の古訓点というのも、いわば中国古代の文化を日本人が取り入れるときに、直接中国語で読むのは難しいから、日本語に一気に翻訳して読むという、そういういささかアクロバティックなものなのです。けれども、実はそういうあり方というのは西洋でもあったのだ、つまり、ラテン語の文献をそれぞれの現地の土地の言葉でなんとか読むというような伝統があったのだとか、お隣の韓国でも、日本の漢文訓読と同じようなことがあったのだということが次々に示されてきて、欧米の、あるいは韓国の専門家たちが日本の訓点に注目して、そういうところから日本の訓点それ自体を研究したいというようになっているんですね。ですから大相撲や柔道のように、そのうち一番有力な研究者が外国人であって、日本人はそのちょっと下くらいに位置するということだって起こるかもしれない。私はその可能性は非常にあると思っています。
日本では、日本語学の世界でも漢文の古訓点やその研究というは特殊な分野、あるいは特殊な性格のものだとみなされてきたんですけれども、欧米の言語学者たちのなかには「それは普通のことである、別に特殊なことではない」と言ってですね、むしろ普遍性があるんだといって関心をもってくださっている方がけっこういるんですね。これは私にとっては非常に大きな驚きであると同時に、大きな励みにもなった、ということを申し上げておきたいですね。
日本人研究者がのんびりしている間に外国人研究者に抜かれてしまうかもしれない。そういう意味では、さまざまな分野にわたって、これからいかに外国人の優秀な人たちと一緒に仕事をしていくかということが私の課題であろうと思います。またそういう人たちの卵が、留学生としていろんな形で私のところに来ておりまして、そうした人たちをいかに育てていくかということも大きな課題だと思います。
皮肉な話なんですけれど、海外の方々が日本の古訓点に関心を持たれたときに、日本の研究者はもう10人くらいしかいない。しかも、非常に狭い意味での漢文の古訓点の研究でいいますと、現役の大学に所属する研究者は4人しかいないんです。ですから外国から日本の大学に所属して、そこで研究をしようと思うと4人のうちの誰かを選ぶしかないんです。
そこで、東京でもあり、万事便利であるという意味で、私のところに来られる方が何人もあって、要するに私は私自身が価値があるのではなくて、数が少ないので希少価値がある。さらには東大の図書館にたくさん本があるから、それを使いたいのでおいでになるという方があって、いわばそういうことで私は大きな利益を得させていただいているという面もあるわけです。
このことは、20年前、30年前ではまったく考えられなかったことです。
私は、一時期真剣に日本の漢文の古訓点の研究は、後継者不足でいずれつぶれてしまうと思っていたんですけれども、最近はあまり心配しなくなりました。
あいかわらず日本人の後継者は出て参りません。なぜかというと、さきほどの徒弟制度で何も教えてもらえない、それから一人前になるのに時間がかかる。他にも理由はいろいろあって、後で述べますけれども。
――外国人研究者が日本における訓点に興味をもたれるきっかけには、日本語の独特な漢字とかなが混じっている表現方法があるのでしょうか。
外国人が訓点に関心をもつのは、漢字やひらがな、カタカナのそれぞれの関わり方、相互に結びついていることの関係がひとつで、それは外国人が日本語を学んだときに、なぜ漢字とひらがなとカタカナと3種類使うんだ?と。特に、ひらがなとカタカナとどうして2種類あるんだ?、ということに大きな疑問を感じるんです。
さらにもうひとつ申しますと、日本には、古い文献が非常にたくさん残っているんですね。中国本土でも朝鮮半島でも、残り方は非常に悪いんです。ところが日本というのは、これだけ災害があって、京都なんかは何度も大火に見舞われたにも関わらず、非常にたくさんの古い文献の現物が残っている。8世紀、9世紀、10世紀の文献が非常によく残っているんですね。
私どもの研究室も、一番古いものは奈良時代の文献を持っておりまして、そういうものを見ると、ヨーロッパ人でも中国人でも韓国人でも、ずいぶん驚かれるんです。ですから、そういう古いものに、さらに漢字に振り仮名などが付いているというその事実に、強い関心をお持ちになるんじゃないか、というのが私の想像です。