インタビュー

Vol.11

文字文献とコンピュータの橋渡し(後編)

高田智和

文字の研究は一大産業


――これまで漢字や文字をデータとして扱ってきたと思いますが、そういった研究で見えた発見はありますか。

私が文字を扱うとデータになってしまうので、芸術家の方に会うと新鮮です。ときどき、ただの文字の羅列に見えてきてしまうので、それは本当に生きた文字の使い方を扱おうとしているのか疑問に思ってしまうこともあります。私は「言葉をあらわす文字」を扱いたいんです。単に図形を見ているわけではない、ということは心がけています。

それから、最近わかったのは、文字は一大産業だということです。私は大学院から国語研究所に来ましたから、狭い世界しか見ていなかったわけです。文字について考える人というのは、言語学者もいて、文字学者もいて、日本語だけではなくて中国語や他の言語の文字を扱う人もいて……それがいわゆる言葉をあらわす文字として研究をしている人たちですね。でも、文字を扱って、文字について考えている人はもっといて、役所の窓口の実務家、コンピュータ会社の人、フォントデザイナー、書家の先生、教育者……こんなに関わっている人がいるのかと。本当に文字は一大産業なんだなと思います。

私は国語学ですけれども、国語学の中で文字を研究している人はあまり多くいません。そんなに大きな基幹分野ではありません。でも、視野を広げると、国語学ではないところに、文字を扱う人はいっぱいいるわけです。情報処理も含めて、あとは歴史学の人だって、考古学の人だって文字を扱うわけですから。ということをようやく最近発見しました。

国語学のデータとしてだけ文字を見ていたら、気がつかないところでした。文字データは角度を変えればいろいろなことを教えてくれるのに、一方向からだけ見ていて、データから見えるものが見えてこなくなったらいけないんだな、と心がけているところです。どの時代の文字資料であっても、人がいないとできないものなので、人が想像できるというのがいいところではないですかね。

――それを話している人だったり書いている人だったり……

そうですね。それを残した人。本当はそれを想像できない場合が多いんですけど。最近は石碑を扱うこともあるので、「これを建てた人は誰だろう?どうなっていたんだろう?」と考えてみます。建碑の場所も変わっているだろうし、もともとはここになかったかもしれない、などといろいろ考えることがあります。だから、データとして見るというよりは、コンテキストも含めて見ることが大事かなと思うようになりました。データからスタートすると、言語記号の羅列と変わらないので、ただの記号ではいけないなと最近考えます。要するに、言葉をあらわしている、言葉の背景まで考えないとだめかなと。自分にそれができているかというとまだ疑問ですけどね。

――先生から見て、日本語や漢字にはどういう価値があると思われますか。

難しいですね。漢字そのものの魅力というのは、一見不便だけれど、使い方をある程度習得すると、これはこれでいいのだと思えるところでしょうか。便利だと思えるようになるまで時間がかかってしまうのが残念なところですが、そこさえ乗り越えれば、非常に便利なものだということに気がつくと思います。漢字……実はあまり好きじゃないんですよ(笑)。漢字そのものはやっぱり難しいですよね。私にとっては研究材料なんですね。素材なんです。

――好きじゃないからこそ奥が深いというか、研究対象として続けられるのかもしれませんね。

だから分析ができるんじゃないかな、とは思いますね。好きで好きでたまらないという人を「ファン」と言うのなら、そういう意味では、私はファンではないです。素材としては好き、研究対象としては面白い……そういうのも「好き」というのでしょうか。

――漢字はいろいろな文字の中のひとつとして好きということですね。ひらがなや変体仮名や訓点と同じように、文字や言葉として魅力的だと。

みんなそれぞれの魅力がありますからね。漢字しかない世界だったら大変かもしれないです。だからと言ってアルファベットだけというのもどうかな、と思うので、混ざっている状態がちょうどいいのかもしれません。これは効率が悪いといわれるかもしれないですけれど、表音文字だけだと、発音できても意味がわからなくて困ったりすることもありますから。漢字はある程度意味がわかるというのはいい機能ですね。

日本の漢字の歴史は、まだまだ受容の途中


――日本語研究や漢字研究は今後どうなっていくのでしょうか。

日本語の研究は、日本語というものがある限り続くでしょう。日本語話者がいなくなっても、滅びた言語の研究としてきっと続くでしょう。今は大学にいないので実感がわかないのですが、日本語を研究する人が増えているような気もしますが、実はあまり増えていないのかなという気もします。留学生は増えているのだけれど、日本人の大学院生が増えている気がしません。留学生が日本語を研究する場合は、日本語のしくみとか歴史とか日本語そのものを知りたいという人もいますが、多くは母国に帰って日本語の先生になりたいとか貿易会社に勤めたいとか、そういう目的があって、日本語を学ぶ延長で留学するということがあるので、日本人とは目的が違うと思います。

日本語の研究もいろいろな範囲に広がってきていて、昔のように、音声音韻、文法、語彙、文字表記などという枠に当てはまらないものが増えてきたので、さらに多様化が進むのではないでしょうか。また、日本語の研究をしているのは日本語学者や国語学者だけでありません。医学部で聴覚を研究している方や、工学部で情報処理を専門とする方も、素材が日本語だったら、日本語の研究をしていると言ってもいいのではないでしょうか。言語の研究以外の分野に、日本語の研究は幅広くなっていくのではないでしょうか。でも、国語学や日本語学はなくならないでほしいですね。

――そういった各所での研究をとりまとめて、よりよい研究にしていくのが国立国語研究所なんでしょうね。

とりまとめられたらいいですね。領域はだんだん広がっていくと思いますので、よりよくするための繋ぎの役割を果たしていけるといいですね。私自身、「文字表記」といったら、普通は仮名遣いとか万葉仮名とかであるべきところを、JIS漢字の調査をやっていたわけですから。担い手と取り扱う分野が広がる傾向が強まる一方で、今まで伝統的にやってきた部分もゼロになってしまっては困るので、文献を扱うとか一次資料を扱うというところも、継承していってほしいです。

漢字研究ではまだわからないことがいっぱいあると思います。漢字はいろいろな言語に受容されました。中国語を書き表すための漢字が、日本語に溶け込んでいったプロセスや理論的な背景が完全に解明されたかというと、そうでもなさそうです。「なぜ日本語で漢字を使い続けてきたのか」という単純な問いに、誰も満足には答えられないのではないでしょうか。「文化だから」では納得できないでしょう。「漢字は言葉だから」というのも不十分で、言葉と文字は違うものですから、それでも説明できないです。

でも最近思ったんですよ。エジプトのヒエログリフは、三千年間は使われているんですよね。それを考えると、日本語の中に漢字が入ってきて千年から二千年の間です。ヒエログリフに比べれば、まだたいして時間がたってないんです。だから、「なぜ日本語で漢字を使い続けてきたのか」の答えはまだ出ないんじゃないかなと思います。「なんで使い続けてきたのか?まだ使って日が浅いんじゃないか?」ということが言えるのかもしれません。歴史とか変化を考えるときは短期的であってはいけなくて、「戦後60年で」とか「明治以降」では短すぎです。これが不思議に聞こえる方も、当たり前に聞こえる方もいると思いますが、私にとっては短い時間です。

――ありがとうございました。


高田 智和(たかだ ともかず)

国立国語研究所 理論・構造研究系准教授。

新潟県新潟市出身。専門は、国語学(文字・表記)、漢字情報処理。
論文に「漢字処理と『大字典』」(『訓点語と訓点資料』109輯、2002年)、「電子化辞書とねじれの漢字」(『計量国語学』23巻5号、2002年)、共著に『新しい外国人住民制度の窓口業務用解説―外国人の漢字氏名の表記に関する実務―』日本加除出版(2012年)、監修に『常用漢字・送り仮名・現代仮名遣い・筆順例解辞典 改訂新版』ぎょうせい(2010年)などがある。

あとがき

高田先生のインタビュー、いかがでしたか。
「日本語における漢字の歴史はまだ浅いのではないか」という問題提起には、過去から現在までのさまざまな日本語の文献資料を調査し、それらを未来に残すために日々取り組まれていることの重みを感じました。

次回は、「超漢字マガジン」1周年を記念して特別企画を予定しています。お楽しみに!

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