インタビュー

Vol.2

辞書をつくるのはおもしろいです。

山口明穗

日ごろから項目は集めていますね。

――辞書に載せる項目は、日ごろから書き溜めてらっしゃって、辞書に入れるときに、その中から選んでいく、とかそんな流れがあるんですか?

ふだん、こういうのを持ち歩いているんです。

(付箋と付箋が貼られた文庫をお見せいただく。)

――これは、項目を決めようと思って読んでいらっしゃるんでしょうか? それとも、ただ読んでいるときに、パッと気づいて印を入れられているんですか?

気づいたときに入れてます。項目選ぶために読むのはつまんないですよ(笑)。

――そうですよね(笑)。付箋はどのように色分けしていらっしゃるんですか?

ポケットからでてきた順です(笑)。

――気づいても、実はすでに載ってたりってことも?

あります。ただ、論文なんかを書くときは、すでにあるからって落としていたら、だめなんです。同じ項目が前に拾ったものであっても、用例を追加することもあるものですから。

――出典とかにもですよね。

ええ。辞書だと、1つか2つ用例があればいいでしょ。それが論文になると、用例がたくさんないといけませんから。

――先生のところの本はほとんどこういうのがパチパチパチと?

多いですよ。

――今は付箋を貼られているだけですが、あとでまとめて入力されたりするんですか?

そうなんです。で、入力したってしょうがないや、って思えば、剥がしちゃうだけですけど。

――こういう本以外にもたとえば新聞にでてたり、マスコミで人が話したりしている言葉とか、そういったものはどうやって採録されたりするんですか?

それはテレビみてるときにふっと気づく。新聞でもそうですね。

――採録する語について、担当者で、まだこれは時期が早いとか、もうこれは普及しているから入れるとか、議論があったりするんですか?

あります。失礼な話ですけど、客観的基準がなくて主観的になるので個人の感情が入ってくるので。

――『広辞苑』は、百科事典の様相があるので、人名もかなりいれているんですよね。

でも、日本人については、かなりあとまで、故人しかいれないですよね。これは、先人の知恵ですね。ご本人の希望が出たりすると大変です。文筆家など仕事が目に見える人ですと考えやすいんですけど、そうでない人は難しいですね。落語家や園芸、スポーツ関係のような口伝えの人は難しくなりますね。それでも、人はだんだんと多くなりますしね。また一回入ると変えにくいらしいんですよ。

――人の名前以外で、前に入っていたけど、落とすってということはあるんですか?

頁数は限られていて、項目は増えるから、当然、前からある中から減らさなければならないわけです。

――それは使われなくなったからという意味合いで?

もう、どうしようもない。一時流行ったけれども、いまもう流行らない。本当に使われた時期がほんのわずかだった、っていうと語弊がありますけれどね。

――漢字の辞書の場合は、過去の辞書もあるんですけど、もともと中国でつくられた漢字ということもあって、前回の話じゃないですけれど、中国の感覚の文字の意味と日本で使われている文字の意味が違うケースがありますよね。そういう場合は、日本の辞書なんで日本の意味を載せるというのが基本ですか?

いやぁ。われわれが作った漢字の辞典で『漢語辞典』って名前をつけて、日本の漢語であって中国の漢語じゃないんだという発想でやってるんですけど、それでも、漢語というと、日本では漢字だけで書かれた語、中国では中国語を指すといった違いがあるんですけど、「これでは漢文は読めない」っていう人がいました。で、区別つけろっていわれても、難しいですね。「一日○秋」って○に何が入りますか?

――千?

あれ、中国の言葉に「一日千秋」って、ないみたいなんですよ。中国の辞書では「一日三秋」はある、つまり、中国は三秋になるらしいんですね。で、中国語で、三から上は「多い」って。一は単数、二は両数(双数)、三から複数になるわけです。それが日本に入ってきたときに、いくらなんでも、一日三秋は短すぎるよ(笑)ってなったんでしょうか、一日千秋というのができたらしいんです。だから、そういうふうな形でいえば、かなりずれはあるでしょうね。前回申した「迷惑」の範疇にはいらないっていう感覚があるみたいですからね。

――文字の意味の違い以外にもずれがあるということですね。ところで、辞書は、見出しをつくって書かれると思うんですけど、ほかの辞書も参照されますか?

それは見ます。ただ、ほかの辞書がやっている解釈が全部正しいってわけじゃありませんしね。
若いときに調べたものですが、「すさむ(荒む)」っていう項目があるんですよ。むかし、風がふきすさむとか、雨が降りすさむとか、荒々しく○○するって意味で、古い辞書に語釈ついていたんですね。で、一番の語義が、激しく雨が降る、風が強く吹くと、そういう語釈が、項目の後ろのほうへいくと、雨がやむ、風がやむ、って解説になるんですよ。最初に荒々しいとあるのに、なぜ最後のほうで止むというだ? 同じ語でそんなに意味の変わることがあるのか、と思うと、真ん中あたりに、「勢いが増していってやがて衰えていって止む」ってあったんです。

――時間経過を含んだような意味なんでしょうか?

それ、語釈の間違いなんですよ(笑)。

――間違いなんですか?(笑)

調べてみると、本当は「気ままにする」っていう意味です。風なんていうのは、気ままに中断します、降ったり止んだりって、ああいうふうなことを表す言葉だったのが、昔の辞書の中で、そうなっていたからそうするってわけにはいかないんです。
ほかにも「すだく(集く)」って項目があって、それは万葉集の中で5例出てくるんですけど、全部、鳥の集まるっていう歌で、万葉仮名で「多集」と書いてあるんです。で、「鳥が集まる」が第一の語義。後世「騒ぐ」という用例があるけど、それは誤用だとしてしまってるんです。でも、鳥なんて集まりゃ鳴きますよね(笑)。誤用でもなんでもない。だから集まるという要素と鳴くという要素が2つ入っているんだ、ってことを正確に書かなきゃいけないわけです。辞書を作るときには、そういうことも考えないといけない。

――国語辞典で辞書ごとに、起源から書いていくものと、現在使われているものから優先して、最初の原点みたいなものは後ろのほうに置くというスタイルがありますよね。

『広辞苑』の場合は、古いのから新しいものですよね。三省堂から出した『大辞林』では、まずは、現代語語釈をあげて、次に大きくわけて現代語、江戸以前という分けかたをしてるんですけど、どうしても境界線があいまいですよね。

――『広辞苑』だと、今の意味を知るにはてっとりばやく、最後を読んだほうがいいわけですか?

それはないんじゃないでしょうか(笑)。 学生時代に英語の先生が、試験に辞書持ち込んでいいって言ったときに、問題に「by chance」という語があって、当時の辞書で最後のほうに書いてあった語釈が正解だったんですよね。そこまで読まずに「チャンスをつかむ」なんて訳すと「おまえ辞書引いていないな」って言われていました。いまだと、電子辞書が良くないんじゃないですか? 1行目だけ読むんです。なぜかわからないんですが、後ろのほうは読まないんです。

――(電子辞書の)画面が小さいので、いくつかボタンを押さなければならないからでしょうか?

それが、さっきのどこ読むか、っていうことと同じですね。

――最近、高校生なんかはみんな電子辞書で、紙の辞書を買わなかったりするんでしょうね。

いや、電子辞書はどれほど使われているんでしょうか。値段も高いですからね。そろそろ売れ行きも落ちてくるのでは? それを期待していますが(笑)。

――インターネットで引いてしまうんでしょうね。

あと、携帯電話で辞書を引くとか。

――それこそもっと短い用例しか挙げていないですよね。よく紙の辞書だとまわりの単語も目に入るので、目的の言葉以外にも、なんとなく知識を得るけれど、電子辞書だとキーポイントだけを引いて読むだけになってしまって、昔から紙の辞書を使っている人にとっては、本来の辞書の意味を使い切っていないんじゃないか、って言われたりしますが。

そういうことってありますよね。電子辞書で引く場合でも、本来の辞書のように使えればいいんですけどね。
今は、紙で印刷してある辞書は、広告の媒体だって言っている人もいましたよ。書かれている内容を、広告として示すけれども、実際に売るのは電子辞書で。そういうふうになってきましたね。

――本屋に並んでいるのは見本みたいなものだってことなんですね。でも、内容を見せる工夫が、紙であっても、電子辞書でも、またタブレット型だのと進化していっても、辞書の中身は先生方がつくられたものですから。

辞書は作っているとおもしろいけど、疲れもしますね(笑)。

(山口明穂先生 インタビュー 完)

山口 明穗(やまぐち あきほ)

国語学者、東京大学文学部名誉教授。
1935年、神奈川県生まれ。東京大学文学部卒、1963年東大人文科学研究科国語国文学専修博士課程中退、愛知教育大学専任講師、1967年助教授、1968年白百合女子大学助教授、1975年教授、1976年東大文学部助教授、1985年教授、1996年定年退官、名誉教授、中央大学文学部教授、2006年定年退任。
著書に、『中世国語における文語の研究』明治書院(1976)、『国語の論理―古代語から近代語へ』東京大学出版会(1989)、『日本語を考える―移りかわる言葉の機構』東京大学出版会(2000)、『日本語の論理―言葉に現れる思想』大修館書店(2004)など。そのほか『岩波漢語辞典』『王朝文化辞典』などをはじめとする数々の辞書・辞典の編纂に携わり、GT書体プロジェクトでは日本語漢字監修を務めた。


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