インタビュー

Vol.8

西洋から見た日本語(後編)

シュテファン・カイザー

留学生と漢字教育


――筑波大学にいらっしゃったときは、漢字の研究や、日本語の文字学などをメインに研究されていたのですか。

留学生センターで、日本語教育も教えていたので、それまで全然やっていなかった漢字の研究を始めました。漢字教育の担当もしていましたから、実際に漢字を教えていたわけなので、いかに(漢字を学ぶのが)大変かということがよくわかるんですね。その中で見えてきた部分や、文字学と漢字教育を結びつけるという発想もありました。

――留学生に漢字を教えるときはやさしい漢字から教えていらっしゃったのでしょうか。

私の場合は非常に徹底していて、語彙として教える、(漢字の)複雑度は無視、という立場で教えていましたね。要するに、認識することを中心に考えていたわけですね。ワープロを使った場合は、文字を選べばいいので認識だけで済むわけなんです。そういう観点から言うと、単漢字よりも熟語、語彙として教えるということと、最初から難しい漢字も入れました。

――それはまた、スパルタですね。

スパルタというか、まず1回テストをやってみたんです。漢字をまったく知らない留学生を対象に、難しい漢字ばかりをテストシートにして、赤鉛筆で漢字を要素に分ける線を引かせたんです。で、これが、けっこうできるんですね。

――編や旁に分ける線を引かせると、回答が正しいということですか。

右左もそうだし、上下も。さらに、左は縦で、右はさらに2つに分かれるとか、「語」みたいに、左が1つで右が2つに分かれるとか、最初からけっこうできているんです。象形文字から入って、だんだん組み合わせていくという、小学生でやっているような教え方は意外と成人には必要ないんじゃないかと考えたんです。書くとなるとすごく負担が増えるわけですよね。中には書かないと安心できないという人もいるけれども。じつは、見ているうちに覚えてしまうという認識のメカニズムみたいなものがあるんじゃないかなと思うんですよね。しかし、教育の世界はなかなか教育の効果を計ることができないというので、だいたい皆さん私も含めて信念でやっています。

――留学生の中には、先生のように日本語の小説を独学で読まれるような学生はいらっしゃらないんですか。

あまりみかけないですよね。博士課程の学生でも、日本文学は翻訳で読むというのがほとんどです。

――マンガはどうでしょうか。

マンガなどは翻訳本がけっこうでているので、それが中心じゃないでしょうか。マンガのほうが少しはとっつきやすいかもしれませんけれど、やはり日本語の文字の壁は大きい。それは常に意識されるべきですね。ハングルみたいに一日で覚えられる文字とは大違いなんです。そこが非常に不思議なところでもあります。確かに朝鮮半島と中国との関係は、日本と中国の関係と歴史的にも違って、もっと圧迫されていたと思いますが、朝鮮半島では、漢字は外国のもので、自分たちはより優秀な文字を作っているというプライドがあって、(漢字に対する)態度が違いますね。日本は(地理等で中国とは)ワンクッションおいているので事情が多少違うのだけれども、日清戦争などで中国と戦争しても、じゃあ漢字をやめてしまえとはならなかった。逆なんですね。むしろ保守的になるときには漢字を増やす。それほどに日本人は漢字をすでに自分のものだと思っているらしいんですね。

――たしかに格式が高い文章になればなるほど漢字の単語が増えていきますね。法律の文章なども、少し前だとつなぎの言葉は全部カタカナで、昔の漢文の読み下し文に近い書き方になっていますよね。

本当にそうですよね。

敬語とアクセントも難しい……


――日本語を教えるときは敬語も教えるのでしょうか。

一応は教えます。でも、なかなか使えるようにはならないですね。ルールとしては覚えやすいんですが、実際どの場面でどう使うかというのが難しいですね。日本人でも、社会人になってはじめてある程度使いこなせるようになるわけですよね。

――たしかに、実際に使いこなすのは難しいです。

でも教えてあげないとね、失礼なことに繋がってしまうので。

―――特にビジネスシーンの日本語では敬語は重要になりますよね。敬語はロールプレイング式(役割演技式)ですか。

そうです。あとは、敬語をどこまで教えるべきかという問題ですね。大学生ならば、大学の中で必要な程度にとどめるわけです。あとは自分で経験しなさい、というふうに割り切らないとだめでしょうね。そうしないとキリがなくなってしまうので。文字の次に難しいのが敬語ですかね。

筑波にいたとき、何かの証明書に印鑑が必要で、「民生委員のところに行ってください」と言われたんです。そこで、朝10時くらいに農家の旧家みたいな立派な家を訪ねたところ、10分後くらいに出てきて「上がれ」といわれたんですよね。それで家に上がって用件を説明したり少ししゃべったりしたわけだけど、敬語はまったくなし。「ですます」もなし。本当に「上がれ」といった感じで。敬語っていうものは本来日本語ではないんですよね。あれは絶対大陸のほうから持ってきて、宮廷で使っていて、それがある程度のところまでは進化していったんだけども、田舎のほうまでは届いていなかったのかと。

――言葉の使い方だけでなく、なまりや発音も違ってきていますよね。

イントネーションも違いますね。アクセントもないし。「カイザーさん」って誰のことかなと(笑)。

――最初に関西のイントネーションを覚えられたわけですよね。再来日されたあとのギャップというのはありませんでしたか。

大変でしたよ。気がついたときは遅かりし。アクセント辞典を引き引き……。まだ直ってないところもたまにありますけど。

それとどうしようもないんですけれども、困るのがアクセント辞典に複数書いてある場合なんです。アクセントをあらわす日本語の教材って極端に少ないんです。2、3種類しかない。日本語っていうのは日本国内でもアクセントが多少おかしくても通じる、という現実があって、それから、たとえば「論点」というのをアクセント辞典で見てみると、「ロンテン(ンテが高い)」「ロンテン(平板)」「ロンテン(ロが高い)」(※)と3種類出てくるんですよね。困っちゃいますよね。これを「標準アクセント」と言われても納得いかないですよね。だからアクセントは扱いにくくって、現場でも教えていないんです。

※出典:NHK放送文化研究所編『NHK日本語発音アクセント辞典 新版』日本放送出版協会、1998年
高く発音するアクセント記号は高く発音。 次の音が下がるアクセント記号は次が下がる。


――アクセントの教育は、日本人向けにもほとんどされていないですね。

昔ここ(國學院大學)で、聴講生をやっていたときに、川上蓁(かわかみしん)というアクセントの専門家の授業に出ていたんです。ほかの学生はみんな日本人で、2~30人くらいいたかな。アクセントをいろいろ聞かせて「まねしなさい」と立たせて発音させるんですが、半分くらいの人ができないんです。同じように言えないんです。違いが聞こえてないんですね、日本人でも聞こえないのかとすごいびっくりしました。たしかに、高低のアクセントというのは、最初は聞こえないと思うんですよね。それに、どんどんアクセントのバージョンも増えてきているし、難しいといえば難しいんだけれども、(アクセントが)あまり重要ではないという見方をされていることも要因にあります。

――アクセントも日本語のなかで問題ではないとすると、繰り返しになりますが、やはり日本語の一番の課題は文字ということに。

そうなんですよね。

――文字以外のほかの問題は埋もれてしまうんですね……。

ええ。

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