Vol.5
和泉司 × 赤松美和子
――お二人は、台湾の文学のご研究をされていらっしゃいますが、まず、それぞれのご専門の内容についてお伺いしたいと思います。和泉先生は、近代日本語文学および日本語教育史、なかでも日本統治期台湾の「日本語文学」をご研究されていらっしゃいますね。
和泉:僕の出身は日文(日本文学科)で、専門は「近代日本語文学」なんですが、僕の場合、「元植民地だったところで、日本語で書かれたもの」を扱っています。ですから、そのまま「日本文学」という名前にすると、「その文学はどこに所属するのか」という話になってしまう部分があるんです。そういう問題を意識するためにも、あまりこの言い方を使う人はいないんですけれど、自分の専門は「近代日本語文学」と言っています。非日本人の、日本国籍を持っていない人が日本語で書いたもの、もっと正確に言うと「日本語がネイティブではない人が学んだ日本語で文学活動をしたときに書かれたもの」というのを研究テーマにしています。
現在は主に、自分が好きな台湾の人の研究になっています。戦前、台湾から東京に留学生がたくさんきて、その人たちが日本語を覚えて日本の学校で学んで、その経験をもとに台湾に帰って文学活動をしていたところがすごく面白いなと思ったのがきっかけですね。調べ始めるとたくさんいろんな作品が書かれていて、そのままそれをテーマとして研究しています。
――非日本人による日本語文学というのは興味深いですね。赤松先生は、和泉先生のご研究よりあとの時代、戦後から現代の台湾文学を中心にご研究されていらっしゃるんですよね。
赤松:私は中文(中国文学科)出身で、中国語文学を研究しています。台湾では、戦後国民党が台湾に移って来たことにより、次第に中国語が主な言語になってきたんですね。私は、最初は小説を研究していたんですけれども、実際台湾に行ってみましたら、台湾には作家、創作活動をしたことがある人がとても多いんです。それで、どうやって作家が作られるのか、どうやって読者が作られるのかということに興味を持って、「文学キャンプ」という文学愛好者参加型の文学研修合宿について調べ始めました。90年代の文学をみると、40、50、60年代に生まれている作家が中心ですので、戦後の文学教育とか文学制度にも目を向けるようになりまして、そのテクスト研究からはじめて、だんだん研究範囲が広がっている感じですね。読者研究ということもしています。
――赤松先生は、台湾で生まれ育った作家のご研究というわけですね。お二人とも研究を続けられて10年くらいになるとのことですが、台湾の文学に出会ったそもそものきっかけはなんだったのでしょうか。
和泉:僕の場合は、地方から中心都市、中央に上京してくるということが、社会やその国のしくみや個人に与える影響というものをずっと知りたかったんです。自分は埼玉県の出身で東京の人間ではありませんが、東京に近いために、「上京」ということの意味がよくわからなくて、もやもやしていました。大学に入ると地方からたくさん人が来ることがすごく面白いなと思ったので、その上京という行動がもたらす影響を自分の専門に引き寄せて考えようとしていたんですね。
最初のうちは夏目漱石の「三四郎」などを読んで、明治、大正、昭和とどんどん時代を追っていくつもりでいたんですが、昭和のはじめごろにたくさんの留学生が植民地から来ていたという事実を知って、今自分が考えている日本の領域の中だけではなくて植民地からも東京に来たいと考えた人がこんなにいたんだな、というのがすごく面白かったんです。最初は流れの中の一部でやるつもりだったんですけれども、やり始めてみたらそこから出られなくなってしまった感じですね。
赤松:私は最初から台湾に興味があったわけではないんです。最初、98年に中国に語学留学に行ったんですが、遊んでしまって……。で、どうしようかなと思ったときに、ちょうど持っていっていたパソコンで「中国語」と検索したら台湾が出てきたんですね。それで「台湾でも中国語が話されているんだ!」ということを知って、「じゃあ、台湾に行ってみよう」と思い立って、台湾に行ったのがそもそものきっかけですね。そこから卒業論文でテーマを選ぶときに、それまであまり勉強をしてこなかったこともあって「先行研究の少ないものをやったほうが楽なんじゃないかな」という安易な考えで、たまたま指導教官の先生の部屋に台湾の小説が一冊あったので、それを卒業論文に選んだことが台湾文学の研究をはじめたきっかけです。
和泉:いいのそれで?ちょっと盛ったほうがいいんじゃないの?
赤松:(笑)。でもほんとのことですから。
和泉:僕は卒論の話なんて怖くてできない(笑)。
――そういうきっかけでお二人とも台湾にいかれたり、研究をされたりするようになったのですね。台湾留学といえば、和泉先生もご経験がありますよね。最初に台湾を訪れたときの第一印象はどうだったのでしょうか。
和泉:台湾に日本文化が広まっていることでしたね。僕は留学するより前、97年に一度旅行で訪れています。それは大学のときの友達が台湾人の女の子とつきあっていて「旅行に行ったらすごく良かったから行ったほうがいい」といわれて、それで行ってみたんです。そのとき、街中に日本の音楽がずっと流れていて「小室家族」(小室ファミリー)って書いてあって、どこ行っても小室家族で。道端の露店で売られているのは日本の漫画雑誌の海賊版だった…といったことが強く印象に残っています。当時はまだ「クールジャパン」という言葉もなかった時代で、日本の文化がこんなに歓迎されている国があるんだと、すごくびっくりしたんですね。中学、高校くらいのときに「日本人は金儲けしかしなくて、文化的な特徴が全然ない」とよく言われていて、それをずっと聞かされていたので、「そんなことないじゃん。日本文化はこんなに喜ばれているんだ」と驚いたんです。
その半年くらい前に韓国に旅行に行ったときは、当時、韓国はまだ日本文化が規制されていたのでお店の奥に海賊版が置かれていて、「やっぱり隠して売るんだなぁ」と思っていたんです。でも、台湾ではおおっぴらに売られていて、これだけ受け入れられるっていうのはどういうことなんだろう、って感じたんです。僕は当時……今でもですけど、けっこうミーハーだったので、外国に行きたいといえばパリとかロンドンとかに憧れを持っていたんですが、台湾の人たちにとっては、それが東京なのかもしれないと思ったのがすごい驚きだったんですね。それがずっと心にひっかかっていて、あとで「台湾から上京してきてる人が戦前にもいたんだ!」ということに繋がったんです。
赤松:飛行機の中で空姐(キャビンアテンダント)に「謝謝」といわれたのに感激しました。台湾に到着すると、いろんな言語が聞こえてきたので驚いたんです。最初、台湾で中国語が話されていることすら知らなかったんですが、実際に行ってみると中国語はもちろん、台湾語、客家語、日本語、それから欧米系の人たちとも会ったりしたので英語も……いろんな言語が飛び交っているんです。でも誰も何も気にしていない、という状況でした。中国にいるときには、私が日本語を話すと「あ、日本人だ!」という視線をすぐに感じたんです。でも、台湾では「勝手に日本語を話してね」という包容力を感じました。自分のしゃべりたい言語で話をして、そのままの自分でここに存在していいんだというような温かさを感じましたね。
~1624年 | 先史時代 | |
1624年 | オランダ植民統治時代 | |
1662年 | 鄭氏政権時代 | |
1683年 1684年 1885年 1894年 | 清朝統治時代 | 清朝が台湾を制圧 台湾を福建省に編入 台湾省を設置 (日清戦争開始) |
1895年 1896年 1899年 1908年 1912年 1928年 1929年 1930年 1935年 1937年 1941年 1944年 | 日本統治時代 | 下関条約締結 台湾総督府設置 台湾全域に国語伝習所を設置 台湾銀行設立 鉄道を整備。縦貫線完成 (中華民国の成立) (国民政府主席に蒋介石が就任) 台湾人と日本人の共学制を採用 烏山頭ダム完成 (芥川賞創設) (日中戦争開始) (太平洋戦争開始) 徴兵制開始 |
1945年 1949年 1952年 1955年 1971年 1978年 1987年 1988年 | 中華民国 | (終戦) 蒋介石による南京国民政府統治開始 (中華人民共和国の成立) 国民政府による台湾の直接統治開始 戒厳令発布 「中国青年反共救国団」(救国団)設立 文学キャンプ開始 国際連合脱退 蒋介石の息子の蒋経国が総統就任 戒厳令を解除 蒋経国死去 李登輝が総統就任 |
1996年 2000年 2008年~ | 台湾初の総統民選を実施(民主化) 国民党の李登輝が総統に選出 民進党の陳水扁が総統に選出 国民党の馬英九が総統に選出 |