インタビュー

Vol.5

東アジア100年の歴史がわかる国、台湾――もう一つの漢字圏 台湾の文学 (前編)

和泉司 × 赤松美和子

台湾の記録


和泉:そういえば、台湾の映画で、『台湾人生』(*1)という話題になった作品があるんですが。

赤松:李登輝世代の1920年くらいに生まれた人たちは今90歳くらいになっているんですけど、まともに皇民化の日本語教育を受けているので、日本語もしゃべれるし日本に特別な思いを持っている人たちなんです。監督の酒井充子さんという女性監督は、それまであまり台湾のことを知らなかったのですが、台湾でそういう方たちに出会って「記録として残さないと!」ということで作ったドキュメンタリー映画ですね。インタビューだけで構成されていて、台湾に興味がある人たちの間ではわりと話題になった映画です。かなり日本が礼賛されすぎていて問題もありますけど。

――それもひとつの記録ということですね。

和泉:劇場に見に行きましたけど、観客はほぼおじいさんとおばあさんでしたね。

赤松:台湾人で日本に来て、日本に帰化した人もけっこういますし。日清のインスタントラーメンを作った安藤百福さん、日本初の高層ビル「霞が関ビル」を作ったり、新宿副都心計画をとりまとめたりした郭茂林さんとか。日本人で台湾で育ったけど日本に帰ってきて、複雑な思いを抱えつつ結局台湾に行けずじまいだった人とか……そういう人たちもいます。

和泉:僕が台湾に行き始めた2000年ごろが、ちょうど時代が変わり始めて、政治的に一番盛り上がっていたころだったので、そのころにあまりよく考えずに研究発表をして「帝国主義的だ」と言われたこともありました。そのうちに文学研究なのに現在の政治の批評ばかりをしたがる日本人が多いと感じたので、それについて日本人が何か言えるものでもないので、触れないように研究をしようと思っていました。「民族意識が見える」とか「抗日的である」っていうことを評価の基準にしたくないので、小説そのものとして読んだときにどう思うか、とか、この人たちは本当に抗日運動したくて小説を書いていたわけではなくて「単純に作家になって注目されたい」とか「賞がほしい」と思って書いていたんじゃないか、という視点で論文を書いています。これには、留学していた頃の経験が論文に反映されています。僕の立ち位置は、今の政治的な部分には何も発言しないというものなんです。軽々しく独立派とか統一派とか言える立場ではないと思っているので。

――やはり独立派か統一派かは気をつけられていますか?

赤松:そうですね。あまり偏らないようにします。

――印象的には日本統治時代を取り扱うほうが難しいのかなと思っていたのですが。

赤松:両方とも難しさはありますよね。植民地時代のことを研究することは「日本人として」ということをものすごく突きつけられると思います。

和泉:個人としては、たぶんその時期は過ぎたと思っています。台湾はよく「親日」と言われるので、研究を始めたときもハードルが低かったんです。もともとこの時代の研究は台湾では民主化が進むまでできなかったので、日本人ばかりが研究していたんです。それで、日本人が日本統治期の研究をしているのは普通だし、という認識でした。

赤松:以前は、台湾研究は、台湾ではできなかったんですよね。

和泉:台湾研究は日本でやっていましたね。台湾の人も日本に留学して研究をしていたと聞いています。

赤松:今はもうそんなこともなくなって、台湾のほうが日本より研究がすすんでいますね。

和泉:僕の場合は研究対象にしている人がみんな亡くなっているので、そんなに判断は難しくない感じですね。僕よりも上の世代の研究者だと、晩年の作家たちに会っていたり、遺族の方たちの協力を受けていたりして批判が難しい部分があるんですよ。僕はそういうことが全然ないので思ったことをかけますし。そういう部分を考えると、赤松さんが扱っている、現在生きている人の研究はなかなか難しいんじゃないかと思いますね。

――リアルタイムでの研究は、台湾文学に限らず難しい気がしますね。政治や社会情勢が今後どうなるかわからないわけですし。

和泉:『台湾人生』もこういう風にしか撮れなかったというのがたぶんあるのでしょうね。この人たちに「だけどそれおかしいですよね」とは突っ込めないですよね。

赤松:私は、記録に残して、後世の評価を任せるほうがいいと思っています。

――そういったことを検証するのは時間をおいてからでないとできないですね。

和泉:登場する人は何も悪くないんですけれどね。

――フィルムという素材だと、撮り方や編集の仕方も影響することもありそうですね。

和泉:この映画では、コーヒー畑で働いているおばあさんの話が一番良かったですね。この人だけが日本の学校教育を受けてないんです。日本人の農場で働いていてそこで自然に覚えたので、学校教育とか社会的な影響を全然受けずに日本語をしゃべっているから、すごく素直に話をしているんです。「戦争中も自分には何も関係なかった。ただ子育てをしていただけだ」みたいな。

赤松:この映画を学生に見せると、コーヒー畑のおばあさんがあまり日本語が上手くないのでそこで寝ちゃうんですよね。逆に話が上手い人の話は印象に残ってしまうので難しいですね。

――教材でも使うんですか?

赤松:使います。感想を書かせて、感想をまとめたものを全員に配ってディスカッションしたり、ひとつの見方としてまとめたりしています。ほかには『海角七号かいかくななごう』(*2)っていう映画も使いました。台湾の少女と恋愛していた日本人の中学校の教師が、戦争が終わって日本に引き揚げる船の中で彼女に向けてラブレターを書いていたんです。その後、先生は日本で別の人と結婚して普通に暮らしたんですが、先生が亡くなったあとで先生の娘さんが台湾にその手紙を出して、その手紙がおばあさんになった台湾の少女に届くまでのいきさつを描いているんです。でも、日本で学生に見せたときに、主人公の日本人の女の子が、若い女の子にとっては今ひとつ魅力的に映らなかったみたいで……おもしろがってはいましたが、ちょっと共感を呼びにくかったですね。

和泉:僕はかわいいと思ったけど(笑)。


(*1) 『台湾人生 かつて日本人だった人たちを訪ねて』酒井充子監督、2008年

(*2) 『海角七号 君想う、国境の南』魏徳聖監督、2008年


次回「後編」では、お二人のご専門である台湾文学についてお伺いします。

※文中掲載の台湾の写真は、和泉氏・赤松氏よりご提供いただいたものです。


和泉 司(いずみ つかさ)

慶応義塾大学日本語・日本文化教育センター専任講師(有期)。博士(文学)。

1975年、埼玉県生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程単位取得退学。慶應義塾志木高等学校、慶応義塾大学、和光大学、聖学院大学、日本大学、横浜国立大学、共立女子大学の非常勤講師を経て現職。専門は近代日本語文学および日本語教育史。
著書に『日本統治期台湾と帝国の〈文壇〉――〈文学懸賞〉がつくる〈日本語文学〉』(ひつじ書房、2012年)がある。

赤松 美和子(あかまつ みわこ)

大妻女子大学比較文化学部助教。博士(人文科学)。

1977年、兵庫県生まれ。2008年、お茶の水女子大学大学院博士後期課程修了。専門は台湾文学。
著書に『台湾文学と文学キャンプ――読者と作家のインタラクティブな創造空間』(東方書店、2012年)がある。
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