Vol.16
沖森卓也
漢字で言えば、もちろんいろんな要素があるんですけど、いちばん重要なのは「なんで日本人は漢字を用いてきたか」、あるいは「なんで漢字を手放せなかったか」。この視点がいちばん重要だと思うんですよ。これは言うまでもなく「訓(くん)」ができたからなんです。当たり前なんだけど、漢字には本来「音(おん)」しかないはずなんです。漢字の読み方というのは、本来中国語の発音の言語、文字体系のものなんですけど、それが日本に渡ってきて日本の固有語、「やまとことば」と言いますが、固有語に当てられて訓ができるんです。この訓が漢字と強く結びついていて、やまとことばが漢字で書けるようになってしまったということが非常に大きいと思うんですよ。本来なら、仮名ができたのなら仮名だけでやまとことばを書いても良かったはずで、当初は仮名で書いていたはずなんです。いろんな位相があるので、男性の世界では漢文を用い、女性の世界ではひらがなを用いるというなかで、仮名だけでも日本語を書けたはずなのに、漢字で書くという人も一方にいて、伝統的に漢字が勝ってしまったというのが現状なんだと思うんです。
実は訓というのは、世界の言語のなかで現在では日本にしかありません。訓を持つ漢字は「表語文字」、語をあらわす文字で、それ自体で意味を表しているわけです。言語の歴史から言うと、文字の発生というのは表語文字なんですよ。これは絵文字から発達したもので、ものを真似て作ったというところに由来しています。
最古の文字はシュメール文字で、これが表語文字なんですが、このシュメール文字をまったく別系統のアッカド語という言語が借りたときに固有語をあてているんです。つまり「訓」ですね。漢字が生まれる以前にすでに訓があったんです。訓というのは表語文字を違う言語で借りたときに必ず発生するものだと言ってもいいくらいです。日本では、もともとの中国語の意味で用いているときには中国語の発音で漢字を読んだのでしょうが、日本語にその意味に当たる語があった場合には、その漢字の読みにその語を使ってしまったということなんです。中国の漢字を借りた朝鮮半島にも本来訓はあったんですが、中国に距離的に近いものだから、そういう変な使い方はやめようとやめちゃったから音だけしかない形になってしまった。
日本は中国からはるか離れていたから、漢字をより自由に使えたということで、訓が定着したと。ひらがなの「やま」と書くこともできるけど、漢字で「山」と書くこともできる。そうすると、表語文字のほうが意味の識別がよりたやすいんですよね。一字一字音を読んでイメージを思い浮かべるよりも、字を見て「これはこういう意味だ」とわかるわけだから。速読をする方法として「漢字だけ見ていけばいい」ということがよく言われるけど、それと同じことで、訓というのは非常に便利だったので、べったり定着してしまったんです。平安時代以降定着していって、江戸時代にはだんだんと庶民が教育を受けるようになり、さらに明治になると義務教育になり、当時は西洋化と同時に漢文的な文章が良いとされていましたから、より多く漢語を使うようになっちゃった。江戸時代までは文章に和語も多く使っていたんですけどね、それが漢語に置き換わってしまったというわけです。それでいっそう漢字が手放せなくなったということでしょうね。
――一度中国から入ってきた漢字に日本語をあてた(訓)けれど、また明治になってやまとことばから音読みの漢語に戻ってしまったということなんですね。
この大きなきっかけの一つとしては、西洋の言語を翻訳するときに、訳語として、今だとそのままカタカナ語になるんでしょうけど、それを漢字で訳したんですよね。訳し方にもいろいろあって、中国で訳した言葉を日本人が用いる場合もあるけれど、もちろん日本で訳語を作った場合もあって、新しい概念がたくさん入ってきますから、漢語の比率が高くなっちゃった。現代においてカタカナ語の比率が上がるのと同じように、当時は漢語の比率が上がったということですね。知識の向上というか教育の向上が、漢語あるいは漢字の使用頻度を高めていったというのもたぶんあるんでしょうね。
――昔から漢字に対しての拒否反応がなかったということなんでしょうね。仮名を使うようになったとはいえ、漢字もありだったんですね。
漢字も便利だったというのがあるんでしょうね。それと明治時代は基本的に総ルビなんですよ。漢字を使っても横に読みがついているから、今よりももっと読みやすいんです。そういう便利さはあったと思います。江戸時代もそうだけど、漢字で書きながらその横に違う読みを書くってこともよくありましたし。
言語の歴史から見ると音の話も面白くて、「景色(ケシキ)」という言葉がありますよね。あれは風景の「景」だから「ケイシキ」ですよね。なぜ「ケシキ」なのかと考えると、もともとあの字は使ってないんです。
――気持ちの「気」ですか。
そうです。「気色」で「キショク」と読むんです。「気色が悪い」というときに使いますね。本来漢語というのは読み方が違わないはずなんです。「ケシキ」と読むのは呉音(6世紀に伝来した音)で「キショク」と読むのは漢音(7~9世紀に伝来した音)です。「ケシキ」のほうが古い意味で、ものの外側の様子、「キショク」は心の中の様子という使い分けができた。それで「ケシキ」のほうに「景」をあてて書くようになったんです。呉音と漢音の使い分けは日本語のなかではけっこう複雑なんです。
韓国漢字音というのは基本的に1種類しかありません。中国漢字音も1種類で、声調とかの違いもありますが、日本語は漢字音の歴史的背景が違うところが面白いですね。
――伝来してきた言葉の時代とともに読みが定着しているということですよね。
それと漢籍に由来するとか、仏典に由来するとかということによっても違ってきているところも面白いですよね。
――同じ言葉なのに、入ってくる時代が違ったので、2回違う言葉として受け入れられたんですね。今、呉音と漢音のお話を伺いましたが、『日本の漢字一六〇〇年の歴史』に書かれていた、唐音(12世紀以降に伝来した音)も興味深かったです。唐音の「脚立(キャタツ)」と「炬燵(コタツ)」の例で、どちらも「タツ」は同じ「榻子」と書いて読んでいたのが、「脚榻子」は「立」を使うようになって、「炬榻子」は「達」に火編をつけて「燵」という漢字を作ってしまって、それぞれがまったく別のものとして使われているというのに、漢字の奥の深さを感じました。
漢字というか語によって漢字の表記が変わっていくというのは、非常に柔軟ですね。コタツの「燵」に火偏をつけるという面白さもあります。
――どちらも四本脚のものをあらわしているんですよね。そう書かれるとどちらもそうだなと思うんですが、発音だけでなく漢字まで変わっているので、同じ語源のものだとは思われないですね。「子」ももともと「ス」と読んでいたのが「ツ」に変わったんですね。
椅子は「ス」ですが、面子の「子」は「ツ」なんですよね。このような事例も一筋縄ではいかないところなんですけどね。
――漢字、発音、言葉の使われ方、意味、いろんな要素が入り混じってできているなぁと。
漢字というのはそういうものなんですよ。「面倒」という言葉がありますよね。じっと見ると面、顔が倒れるって変じゃありませんか。面倒というのはもともとは和語なんですよ。「だうな(どうな)」という形容動詞の接尾語があって、「目だうな(めどうな)」で「見ることが無駄だ」「見苦しい」という意味なんですよね。鉄砲の玉を無駄に使うことを「玉だうな」、無駄な矢を射ることを「矢だうな」というんです。当時「だ」行音は鼻濁音だったので、「だ」は「んだ」という発音になるんです。「めどうな」が「めんどうな」になって「めんどう」という言葉ができたんです。ただ、それをひらがなで書いてもよかったものを漢字で書いてしまったと。
そういう和語があっても漢字をあてていくというのは、漢字が高尚なものに思われていたということなんでしょうね。今使われている熟語の漢字表記の中でも、歴史的に見てみると表記が変わっている例は実はたくさんあるんです。もちろん意味も変化していますが。
――和語に漢字があたることによって、また違う意味でもどんどん使われていくんですね。
「剣幕(ケンマク)」もそうですね。剣幕という言葉は本来「険悪(ケンアク)」という言葉だったんです。これが連声(れんじょう)を起こして、「ケン」の後ろはもともと「m韻尾」でしたから「kem-aku→kemmaku」になるんだけど、険悪を「ケンマク」と読むことがむずかしくなったもんだから、別の字をあてて「剣幕」とか「見幕」とかと書くようになった。これは完全な当て字ですね。でも、そんな例はたくさんあります。漢字表記というのは古くから用いられているように考えられていますが、よくよく見るとそうでもないものもたくさんあるんです。
(以下、Vol.17 へ続く)
いかがでしたか。一言で日本語といっても、その中には漢字と和語との関わり、中国との交流時期による言葉の変遷など、さまざまな要素が絡み合って現在の日本語を作り上げているという言語とその歴史の奥深さを感じました。
後編では、漢字と仮名、漢字のなりたち、日本語と国際化についてお話をお伺いしています。次回の超漢字マガジンインタビューをお楽しみに!